第三話:ヴァーサス

 

 

 

 五月二日。午後二時一二分。黄翔高校、オカ研部室。

 

 

 

「はぁ、はぁ………中々、頑張るじゃねぇか? ボンボン?」

 

「………はぁ、はぁ、そちらこそ………褒めてあげますよ………」

 

 リングの中央で荒い呼吸で、肩を上下するガラと誠。

 開いた口から涎と交じった血を顎先まで流している誠。対して、ガラは混血鬼(ダンピール)。それも、真祖であり源祖の中で――――第一世代の吸血鬼の中でも最古のガウィナ・ヴァールの血を受継いでいる。身体の再生能力は他の第一世代に後れを取ることはない………殴られた箇所、亀裂骨折、鼻骨などを片っ端から治癒する………生まれつきの頑健な肉体と、人間が決して持ち得ない再生能力がある。

 

「ボクを相手にそこまで粘りを見せるなんて………称賛しましょう………」

 

 言っている間に顔面の腫れは引き、傷は塞がる――――カサブタだらけの顔を手で拭っただけで、散々殴ったはずの顔が元通りになっていた。

 

「そして――――《本気》でお相手しましょう、先輩」

 

 左腕のブレスレットが脈動し――――両手、両足に這い回り、手甲に足甲。そして胸当てが構成する。

 蛇装ウロボロス――――形状変化を可能とし、持ち主の意思に添い、もっとも適した武器へとなる。

 

「このウロボロスを使って戦うなど………“人間”なら“レイ・ムサシノ”以外無いと思っていましたが、あなたの底力に敬意を払いましょう………何、手加減はしますよ? 全力の半分………これで、終わりにします」

 

 半身で構え、次の一撃で終わらせるため全身の力を集中し、重圧を放つ――――

 

(《応急処置》すれば、一命を取り留めるだろう………)

 

 誠の全身のダメージと、疲労を冷静に分析した………が、どうみても、ボロボロ――――どうみても、次の一撃で崩れ折れるはずの誠は………

 

「………はぁ〜………」

 

 溜息を吐いた………とてもとても疲れた顔だった。

 

「その《鎧》さぁ? 何時でも纏えるヤツなの? なら、さっさと纏ってよ? さっさと身に付けてくれたら、こっちも《五割》くらい力出せたのにさぁ〜………あぁ〜馬鹿らしい………」

 

 いきなり緊張感を無くし、敵を前にして腰を回し、両肩を回す――――あまつさえ、柔軟体操までし始める誠に、ガラは殴りすぎて気が触れたのかと思ったが――――当の本人は背中を向けてジャージを脱いだ。

上半身が露になる――――打撃の要である背中の筋肉は見事に鍛え上げられている………そして、その筋肉の凹凸に禍々しいほど描かれた魔法陣に――――ガラは声を失う………霊視しただけで、その背に刻まれたトライヴァル・タトゥーは雁字搦めの牢獄――――存在全てを押し込める封印の円と獄舎。

封印は解除された後はあるが………まだある………まだ、雁字搦めに施されている。

 

「あぁ………〜《遊び》に付き合ったつもりだけど………《遊んじゃいけない》お前が《遊んでいた》か………これならさっさと霊児さんたちとくっ付いて、カルパッチョ食いに行けばよかった………時間の無駄だった」

 

 言いながらコーナーにジャージを引っ掛けて、軽くフットワークをする誠が振り向くと――――半身で左腕を伸ばして距離を測り――――右拳は引き絞っていた。

 

「次の一撃で終わらせてやる………後悔無いように、《全力》を振り絞れ」

 

 左足が高々と上がり――――震脚。

 リングの隅々まで振動を響かせ――――構えた。

 引くことも、躱すことすらしない………ただ相手の攻撃を上回る一撃を放つと誓う構え。

 さっきまで………先ほどまで、膂力と頑健な身体能力で殴り掛かってきた………技術が無いと思っていた誠が………初めて、型通りの構え。

 

「………ふざけているのか………誠先輩よ? あなたは《全力》じゃない………いいえ、《永遠》に《全身全霊》など出来ない。そんな………《廃人手前》のあなたと戦うだと………今まで、ボクが相手にしていたあなたは………《身体障害》じゃないかッ!? これこそ侮辱だ………屈辱以外、表現出来ないぞ? そのあなたにボクの全力を放てだと? 馬鹿は休み休み言えッ!」

 

 ガラの搾り出す声に――――ますます誠は冷める………氷点下を通り越して………冷めて覚めて醒めてくる………溜息すら吐く気力も無い。

 

「………やっぱり、お前は何も解っていない………先輩面したくないけど、一つ言っていい?」

 

「………なんですか?」

 

 ガラの眼を見ながら――――――――《怒り》で《封じる》ことが不可能だ………本当に、【(おれ)】は怒っている………。

 

馬鹿(、、)って言う奴が、()()()()大馬鹿(、、、)だよ………」

 

「………何?」

 

「精一杯加減してやるから、掛かって来いよ………こんな《姿》を先輩たちに見せたくないから? 《父ちゃん》以外だと、お前が初めてだ」

 

「………ッぅ!! まだ、愚弄するカッ!!」

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 リングを焦げつくほどの踏み込み――――刹那の内に肉迫したガラの右ストレートが誠の顔面にあと一センチの隙間――――距離を測るために前へ出した誠の左腕が円を描く――――迫るガラの右手首に鋭い痛みが走る! 頑強な手甲に覆われている………その隙間を縫うように………狙い定めたように叩き込まれて、()()弾き出された(、、、、、、)。顔面を横切るでもなく………打ち込んだはずの()()()真横(、、)()弾かれて(、、、、)いる(、、)!?

 

「………」

 

「………」

 

 至近距離………前に出した足と足が交差している………だと言うのに………誠の身体は動いた形跡が無いほど、まったく同じ構えで佇んでいた。ガラ自身――――右手首に走る痛みが無ければ………誠が弾いたと解らなかった。

 あまりにも………ほんの一ミリ単位の狂いも無く、同じ構えだった。

 

「………このオォォォぉォオッッ!!!」

 

 至近距離――――いや、ゼロ距離射程内………ガラは構築した全てのコンビネーションを組み立てて誠へ叩き込む!

 左ジャブ、左ジャブ、右フック、左アッパー、右ローをフェイントにして延髄へ叩き込む変則右ハイキックから、片足飛びで逆回し蹴りと同時に跳躍時間を利用して右足のみで飛翔して顔面、両肩、胸部を襲う足刀後、左足がリングに付くと同時に構えをスイッチし、右拳で顔面、腹部を無軌道に迫るフリッカージャブで眼を慣らさせないようにし、死角を作って上下左右へ散らしたストレート、フック、アッパー、ロー、ミドル、ハイキック――――それが、悉く――――片手で――――捌かれてしまう。

 受け廻し、下段払いの………たった二動作だけで………防がれてしまう。

 動いた形跡が皆無なほど………佇んでいる誠の左手がここで初めて動く――――左掌がゆっくりと握り締める。

 両手の握り拳の甲を、ガラに向ける………丁寧に、丹精込めて、拳を創り上げた誠は激しく攻めて立てたガラへ、

 

利き腕(、、、)じゃないから、安心しろ」

 

 言った瞬間――――右の正拳が放たれていた――――ボッと………空を切る音が響いたと鼓膜に届いた後にはガラの腹部――――それも水月に――――インパクトの瞬間、綺麗に捻られ………叩き込まれていた――――何故か、叩き込まれていた腹部より、背中の甚大なダメージが脳へ伝わってきた。

 

(この衝撃は………技巧派の………武蔵野麗………五回闘い、五回とも敗北した時と………同じ衝撃………?)

 

「ガッ………唖あっ………あッ………!」

 

 不味い――――胃の衝撃より、背骨と背中を貫く痛みに、眼が回る………膝が、何故………リングにつく………どうして、ボクの………全身から力が消えている!?

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

「はぁ〜………《余計》なことさせるなよな? 後輩くん?」

 

 ヨッこらせっと………気持ちよく気絶している上に、だらんと力を失くしたガラ坊の腕をおれの首にかけてやり、リングから降りる。

 

「………まったく、嫌な役割だな〜………本当なら、霊児さんとか、マジョ子さんが教育するんじゃないの?」

 

 言いながらムカつくけど、連休明けには後輩なんだし、ガラ坊を寝かせてやるため床に横たわらせてやる。ジャージで悪いけど、風邪引くなよ?

 

「そう言うなよ? マコっちゃんが《最適》だったんだって? ほら? これで水分補給しなよ?」

 

「あっ? どうもっス! 本当、気配りとかその絶妙なタイミングとか見習いたいな霊児さん………」

 

 待て、真神誠………どうしてアクエリアス五〇〇ミリリットルを受け取っている? どうして、一緒にタオルを受け取っている? どうして………おれは、それを当たり前というか………平然と受け取っちゃっているの?

 

「………霊児………さん………ですか?」

 

「どうした? マコっちゃん?」と………居ないと思っていた《人》から受け取ったタオルで汗を拭いつつ、受け取った冷えたペットボトルの蓋を開けて………グビグビ飲んだ後だけど………戦慄してしまう………否、戦慄より………恐怖? この音も気配も、空気すら感じさせないのに………《声》を発した瞬間には、あの人しかいないと解る声の主に………振り向くことも出来ず………心臓は静まらない。

 せっかく潤った喉がもうカラカラに渇いてしまう。

 

「………どこから………見ていたんですか………?」

 

「うん? あぁ〜震脚した後からかな? それにしても、良い受け廻しと正拳突きだったよ。それにローキックの捌き方? あれは凄いね? 蹴る瞬間に手で押さえ込んで最小限の潰しだった。生半可なタイミングじゃ出来ないよ? あれは?」

 

 にこやかに褒めてくれるけど………おれとしては恥辱ものだッ!!

 この世全ての《武》と名が付く《力》の《最高峰》に君臨するであろう、霊児さんに見られた!? おれの付け焼刃みたいな空手を!!

 父ちゃん見てるからワカルモンッ!

 おれの空手なんて空手の《カ》の文字すら至っていないってッ!?

 

「あぁああああッ!! すんません! ごめんなさい! 偉そうなこと言っていました!! ナマ言ってました!! ごめんなさいッ!!」

 

「何で謝るの?」と、本気で聞いてくる霊児さん………あれ? よく見ると何故だか右頬にバンドエイドがある? でも、まずおれへの質問だよな………てか、この人………本気で訊いているのか?

 

「………だって、《恥ずかしい》じゃないですか………? ちょっと《練習》しているだけなのに………霊児さんの前で………その………《武術》を語る《マネ》なんて………」

 

「それこそ大きな《誤解》があるぜ? マコっちゃんがさっき見せたのは本当に《武力》だ。理想的な《武》だ。矛を止め、抗する《強さ》だったぜ?」

 

 本当に………手放しで褒めてくれると解るけれど………納得………出来ない………

 

「………まるで、霊児さんの《武術》は《武術》じゃないと、聞こえますよ………?」

 

 武の化身………否、武の覚者が言うには………相応しくない。

 こんな【暴力者(おれ)】を褒めるのは。

 

「当たり前じゃん? マコっちゃんは《誰》も《殺害》していないだろ?」

 

 簡潔な一言はガツンと響いた。

簡素な単語で表現された《衝撃》に何も言えなくなってしまう………言いたいことは沢山あるのに………肩をすくめて苦笑する霊児さんに、何も………何一つ言えなくなる。

 

「字の如く、《武》を語るならオレほど相応しくないって訳さ? オレほど《武》を汚している人間はいないさ? そうだろ?」

 

 微笑む霊児さん――――だが、どうしても、これだけは言わなくちゃいけない………《暴力》を《内包》している【俺】すら殺さずにいるあなたは………いや、あなたこそが。

 

「なら、霊児さんは………過ちとか、間違いをそのままにしないって判ります………霊児さんなら、二度も同じ間違いしないでしょ? だって、【俺のアクマ(魔王)】を殺していないじゃないですか………!?」

 

 何とか言い切ったおれの言葉に………何故か霊児さんは眼を瞬き………眼を逸らして、忌々しいと言わんばかりに舌打ちをした。霊児さんが見せるとは思わなかった表情におれは目を白黒するけれど、すぐに霊児さんは何時もの調子に戻ったのか、肩を竦めていた。

 

「………そうだな………骨が折れるかもしれないけれど………頑張ってみるか………でも、間違っても、【あんた】の戯言に従うわけじゃねぇ………ちょっとだけ、【後輩】の前でカッコつけたくなっただけだ………解ったら、さっさと消えてくれよ………」

 

 と――――何故か………おれから視線を外して、部室の壁を睨んでいた。おれは視線を追って――――追って………壁を貫いて………グランドを過ぎ去り………学校の正門前で佇んでいる金髪ポニーテールの………そこらのイケ面が裸足で逃げ出すような(あん)ちゃんを幻視する。

 綺麗な顔を台無しにする子供っぽい笑みで、霊児さんを――――見ていた。けど………その兄ちゃんの横にいる女性の朗らかな笑みにおれは目を奪われ、呆然としてしまう。

 漆黒の喪服を己の魂の如く身に付けながらも、その双眸はどこまでも慈愛深く――――何故かおれを見詰めている。

 

(頑張りなさい)と、唇だけが明確に動いて………そのまま二人は背中を見せて去っていく………そんな白昼夢に頭を振ってから霊児さんを見ると、鼻を鳴らしていた。

 もう――――どこから見てもいつもの巳堂霊児………オカ研部長の巳堂霊児さんだった。

 日本刀のように折れず曲がらず。でも、決して威圧すること無い穏やかな雰囲気で、

 

「さて? マコっちゃん? ちょっと付き合ってくれ? 実はオレ、喫茶店から追い出されてさ?」

 

「えっ? どうして?」

 

 本当イキナリだな? それにほんとう、どうしてさ?

 

「だから銀丞へ行かないか? 女性陣は何故か意気投合しちゃってカラオケ行くって言い出したし、オレはこの通りハブられた。それにオレは昼飯食ってないしさ?

 

「………はぁ〜………でも、このガラ坊どうします?」

 

「うん? ああ?」と、霊児さんはおもむろに寝転がっているガラの上体を起こして、活を入れてやると、呻きながらおぼろげな目線でガラ坊はおれと霊児さんを見渡す………この人………簡単に気絶している人を覚醒出来るんだ………恐ろしい。

その手際はきっと“逆”も可能………よく美殊は食って掛かれるな………霊児さんの温厚さが無ければ、美殊百回気絶しているんじゃないのか? きっと? もし実行されたりしたら………うわぁ、寒気した………お願いです、霊児さん。美殊を消さないでください。お願いします。届け、おれの切なる念話ッ!

 

「しないって? 心配性だな?」と、おれの顔色だけで心中を察してくれる霊児さん。さすがです!!

 

「………負けたのか………ボクは………」

 

 気絶から覚醒したらいきなり重々しい溜息と共に言うガラに、おれは眉を寄せてしまう。

 何だか暗いな………落ち込んでいるようだ。相当に、自分が絶対勝てると思っていたようだ。

どんな状況でも【おれ】にだけは負けると思っていなかったと解る表情だ。でも、そんなガラに霊児さんは肩を竦めて、

 

「負けから何も学ばないヤツは、本当の馬鹿さ? 一回や二回程度で根を上げることはないぞ?」

 

「………《人間相手》に負けたのはこれで《六回目》………これで何を《学べ》と言うんですか?」

 

 打たれ弱いな〜本当にこのボンボンは?

 たった六回じゃねぇか? おれなんて何回負けてるよ? 母ちゃん、駿一郎さん、アヤメさん、十夜さん、聖慈兄ちゃん、昇太郎兄ちゃん、昂一朗兄ちゃん、百合恵姉ちゃん、百合香姉ちゃん、鋼太兄ちゃん、巴姉ちゃん、霊児さん………あれ? おいおい? 両手両足じゃ足りないぞ?

 父ちゃんにいたっては五桁でも足りないぞ?

 おれ負け犬………? でもでも! 後輩相手に弱気は見せられん!

 

「悔しかったら、いくらでもリベンジしろよ。組み手ならいくらでも付き合う」

 

 ちょっとクールに決めてみた。おれももう、先輩だしこれくらいの格好付けは許されるはず!

 

「………組み手………ですか? ハッ………ボクは少なくとも真剣だった………本気だった………」

 

 乾いた自嘲気味な笑みだ。そこまで凹ませる予定は無かったのだが、おれに負けたのが相当応えたのか………それとも六回負けたのが痛いのか? てか、負けって確か、自分が《折れたら》負けだって父ちゃん言っていたな? 折れてももう一回闘おうとする意思があれば、それは負けじゃないって言っていたな。

 それが《不屈の意思》………跪こうが、頭を垂れようが、グテグテの屈辱と羞恥だろうと、立ち上がれって………言っていたな………タマに………父ちゃんの言葉は、母ちゃんのボディーブローのように効いて来るな………。

 

「【真剣】ね………やっぱりオレより最適だったな………」

 

 逆に霊児さんは真剣の一言に小さな安堵を感じさせる吐息を付いていた。

 

「真剣なら尚更良かったんじゃないの? マコっちゃんは【優しい】からな」

 

 えっ――――と、顔を上げるガラ坊………ついでに今まで【優しい】何て言われた事が無かったおれ。

 

「組み手やったときも感じたけど、マコっちゃんは、【真剣】だった………自分を絶対に手放さないよう足掻いていたからな………まぁ、多少の敗北は苦いかもしれないけれど、それを知らないでいたら、何時まで経っても【変化】はないぜ?」

 

 唖然と霊児さんを見るおれとガラ坊に――――にっこりと笑った霊児さんは背中を向けて、

 

「さっさと飯を喰いに行こうぜ? おれは今度こそ飯を喰いたいからな〜意地でも銀丞の一番高いメニューを喰ってやるぞ、今日は」

 

 部室のドアを開けてから振り向いた霊児さんは行かないのかと問う表情に、おれとガラ坊は呆然としながらも後に続く。

 戸締りした霊児さんは何時もの………大らかなのに、身を引き締める空気で、

 

「ガラの歓迎も兼ねているからな? 二人とも奢るぜ?」

 

 

 

 五月三日。一〇時二〇分。黄紋町、神城マンション入口。

 

 

 

 まだ街の地理に明るくないガラのため。

ついでに自分も明るくないが、一人より二人の方が心強いために、磯部綾子は同じマンションの住人のよしみで佇んでいた。

 昨日は喫茶店からマジョ子と美殊の三人で、そのままカラオケに直行して親睦を暖めて、爽快な気分で帰宅したが………ガラは夕方頃にトボトボと帰ってきたらしい。

マンション二階は全てガラのメイド、執事たちの部屋となっている。

そして、三階にあるガラの部屋の性で、顔を合わせる機会は無かったが――――メイド長さんと執事長さんが、パニックで一階の管理人室に駆け込み、

 

「なっなっなっなっ何があったのですか!? ガラ坊ちゃんがお食事はいらないとッ! こんなこと一度も無かったのにぃ!!」

 

 メイド長さんの絶叫に続き、

 

「綾子さん!? あなたはガラ坊ちゃんと一緒に部室に居たのですよね!? なら!! 何かご存知ですか!?」

 

 メチャクチャ怖い顔で詰め寄る執事長さん。

 いい年齢の大人がオドオド、オロオロと慌てふためき続ける二人が落ち着きを取り戻したのは夜の一〇時まで掛かってしまった。

 部室で誠と喧嘩になったが結果まで見ていないが、きっとガラは――――

 

「負けちゃったんだろうな………」

 

溜息を吐きながら独り言を呟いた頃、オートロックの自動ドアからようやく待ち人のガラが姿を現した。

 服装は襟と袖に唐草の刺繍が施されたシャツ。左腕に巻いている金のブレスレット。パンツのラインにも唐草模様。頑丈そうなブーツの出で立ちだが、視線は下で暗い表情だった。

 

「ガラ君、おはよう?」

 

「………おはようございます、先輩………」

 

 覇気も張りも無い返事に、綾子はさすがに昨日どういう結果になったかは聞かなかった。変わりに、ニッコリと微笑んだ。

 

「これからシーサイド・アイランドまで一緒に行かない?」

 

「そう――――ですね。ボクはまだ地理に明るくありませんから………」

 

「あっ、ごめん。実は私もそんなに詳しくない」

 

 てっきり綾子はシーサイド・アイランドまで案内を買ってくれるために待っていてくれたと思っていたガラは、眼を丸くして綾子を見る。

 

「まぁ、詳しそうな人とか、タクシーの運転手に訊けばつくと思うよ? そのために早めに出発しなくちゃね?」

 

 明るい笑みで言われたガラは、強張った表情から苦笑いが浮かぶ。

 

「フッフフ………そうですね? では、行きますか?」

 

 黄紋町のアーケード街に向かうバス停まで行けば、あとはバスから駅へ行って駅前の地図を見ればいいだろうと簡単に話し合い、二人は並んで歩き続ける。

 歩道は広く、街路樹も転々とある。黄翔高校の通学路にもつながり、他の小中学校の通学路と交わるためだ。昼頃には老人の散歩コースとなっているため、標識も最高時速四〇キロで、車も静かに通り過ぎる中――――そろそろ、こちらから話を掛けなくてはいけないかと、悩んでいた綾子より先に無言に堪えられなかったのか、横に並んで歩くガラはチラチラと綾子を見ながら、

 

「………その、先輩の私服は………」

 

「………やっぱり似合わないかな?」

 

 住宅街の歩道を歩きながら、項垂れてしまう。

 昨晩、母の都子にちょっとシーサイド・アイランドで一悶着になることを素直に告げたら、「そう? じゃ、この服に着てね?」と、渡された服と靴を素直に着ている………むしろ、これ着なきゃ、「閉じ込めるからね?」と、極上スマイルで脅された………この黄紋町に引っ越してから、母は明るい。しかし、やけに過激な発言が目立つのだ。しかも、有言実行する性分のため、その衣服を素直に従って着たが………正直、落ち着いたロングスカートや目立たない落ち着いた色合いの衣服が好みな綾子の趣味とは違った服装だ。

 際どいラインでカットされたジーンズに過剰な色気を演出する網タイツ。膝上まであるロングブーツに、身体のラインがキッチリカッチリ浮かぶファイヤーパターンのロングシャツの上に革ベスト。そのベストの左胸には【鴉】と書かれたワッペンに、背には天使の右翼二枚と悪魔の左翼二枚。派手以前に、こんなどこぞのロックバンドのグルーピーみたいな格好で歩くことは羞恥心に駆られてしまう。

 

「もしや、女王陛下が制作なされたものでは?」

 

「えっ? そうなの?」

 

「ええ………女王陛下の作品は魔術書、護符をこの眼で見ています。その作者の気とでも言うのでしょうか………その【服】には、それを感じます。それはオーダーですか? もし、そうなら羨ましいです………」

 

 オーダーした覚えは無いのだが………確かに、そう言われれば納得するしか無いほど()心地(ごこち)に違和感は無い。むしろ、ピッタリとしたフィット感すらあった。動き辛くなく、苦でもない。

 

「女王陛下は距離を目算だけで数ミリ単位で計ることが出来ますから。体型なら一ミリの狂い無く計ることが出来るお人ですが、《その人》専用に衣服を作ることはあまりしませんから………」

 

 それはそれで嫌だった。ウエストとバストを誤魔化しても絶対ばれる。てか………私と真神くんのお母さんと初めて合ったのは病室だし、結構ガリガリだったのに………健康状態も予想して手掛けたと、考えると何か………「うへへへ………あのお嬢ちゃんの健康状態なら、“ここ”と“ここ”ら辺の肉余ってそうだな〜」とか笑いながら制作していたら、正直泣きたくなる。

 そんなマイナス思考に沈みかける綾子より先に、何故か落ち込むガラ。

 

「………なるほど………確かに、ボクは井の中の蛙だ………しかも、大海に出たと思ったのに………未だ井戸の底か………ボクは今だ女王陛下の目にも入っていない確たる証拠…………か……」

 

 どうして、落ち込むのか解らない綾子はどうにかしてこの雰囲気を払拭したかった。

 だって、目的とするバス停まであと五〇メートル――――その間、この雰囲気で黙々と歩きたくはない。

 

「どうして、ガラ君はこの街に来たの?」

 

「強くなるため――――その一点です」

 

 迷いの無い表情となるガラ。だが、綾子は首を傾げていた。

 

「強くなるにはあのままでは………あの環境では駄目だと感じ、この街に来ました。この街には女王陛下、不死の神鳥、謳う死天使………たった三名がいるだけで《聖堂》、《連盟》、《暴力世界》が畏怖する………その《三名》が《強者》となった瞬間が、この街だと聞かされています。少しでも、ほんの少しでも良いから強くなりたい――――と、カッコつけて言いましたが、単純に縋るようなマネですね」

 

 最後は自嘲気味に言うが、綾子はますます理解出来ない。

 

「………えっと? じゃ、質問を変えるわね? どうして強くなりたいの?」

 

「父を超えるため。それが息子として出来る親孝行だと思います。一人の戦士として一人の男として」

 

「それなら傍にいるだけで、親孝行だと思うけれど………」

 

 ますます方向が解らない返答だった。

 親孝行? それで強さ?

戦士として認められたければわざわざ黄紋町に来る理由はないのでは? 一人前として認められたければ、目の前に居なければ意味が無いような?

 

 それら部分に強くなりたいという欲求が絡む時点、綾子には疑問である。何よりこの温度差とも言える隔たり………どうしてこんなに違うのか?

 昨日の美殊とマジョ子先輩とは意気投合出来た。誠や霊児に対しても少なくとも自分で作ってしまったパニック部分を払拭したが………この後輩は判らなかった。

 どこに齟齬があるかと、思案に耽っていた綾子はガラが何か言っていることも気付かなかった。

 

「あの? 磯部先輩?」

 

「えっ? あっ? 何?」

 

 呼ばれて何時の間にか横に居ないガラを探すと、離れた場所に立っていた。

 

「このバス停で良いのでしょうか?」

 

 五メートル離れた先でガラはバス停を指差す。危うく通り過ぎるところだったため、罰が悪く下を向きながら戻ると、

 

「磯部先輩………僕も質問してよろしいでしょうか?」

 

 何を聞きたいのだろう? 停留場に書かれた漢字かな?

 

「どうすれば………《あなた》のように強くなれるのでしょうか? 否、あなたやマジョ子先輩、美殊さんのように………どうすれば?」

 

「? はい?」

 

 自分が強い? ありえない。自分は殻に閉じこもり、殻に閉じこもったまま無自覚に無差別に攻撃した人間だ。卑怯な人種だ。見えないところで、攻撃されないと判って攻撃する最低な人種だ。

 

「オカルト研究部の皆さんは、今まで僕が見てきた強者と違う。何て言えばいいか説明出来ませんが………」

 

 言葉足らずな己に不甲斐無いと言う様に項垂れ、

 

「強くなろう、強さを証明しようとしている僕とは違い………あなた達は《強く変わろう》としている。そんな感じがします」

 

 ああ、それだ。そうだった。単純過ぎて見過ごしていたことをガラの口から聞いて、初めて齟齬を理解した。

 

 私は変わりたい、美殊ちゃんは変わらなければならない、マジョ子先輩は変わらずにはいられない………そんな事件、転機、選択の要素。

男性陣のバックボーンは解らないが………根本の部分………宿命と運命に翻弄された結果と過程と、自分が【感じた】大まかな想像は出来る。

 

「そうかもしれないね? 私達は証明や自分の存在も考える余地無く、《こうなっちゃった》って感じで、変わっているほうね」

 

 だからといって“変わった事”に綾子の中に後悔はない。

理由もすぐに解った。

この街には《仲間》がいる………自分と似たり寄ったりの仲間が。

そんな涼やかな横顔を見ていたガラハドは………まるで生物であることを疑う眼差しだった。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

「《こうなっちゃった》………? あなたは………強さに誇りとか無いのですか?」

 

 血の滲む汗の数で今の自分自身を構成しているガラには、理解出来ない言葉だった。努力と理念が何処にも感じられない言葉だ。呻くガラに不思議に綾子は思いながら、

 

「うん。全然無いね………それに私は弱いよ?」

 

「いや、あなたは強い………少なくとも僕よりも………」

 

 お世辞ではない………悔しいが、これがガラの本音だった。

 第六階位。そして、結界師の最上位の異界使い――――まともに衝突すれば彼女の異界から放出する術で敗北。距離をとっても結界に括られれば敗北。何度頭の中で仮想戦闘を繰り返しても、敗北の二文字。

 

「そんなのどうでも良いと思うけれど?」

 

 強い弱い………そのどこが良いのか解らない綾子は素直に答えてしまう。

 

「………どうでも………良い?」

 

 今度は大きく口を開いたまま硬直し、愕然と棒立ちとなる。綾子の一言は、ガラの持っている強者の理念を根底から崩す言葉だった。

 

(どうでも………良い? 強さを………力を………僕より強い人が何故?………この人は強いのに、強さを固執しないのは何故だ? 今以上に強くなりたいと、何故思わないのだ? どうして、どうでも良いと………昨日の誠さんと霊児さんと同じ台詞を言うのだ?)

 

 強者とは精神、肉体の全てが貴いから素晴しい――――そう信じてきた。

それが崩壊されたのは昨日、誠との組み手での敗北。何故か喫茶店から舞い戻ってきた霊児とのたった二言三言の言葉。そして、不思議そうに今言った綾子。

 

(不味い――――この言葉に反論しなければ、自分の人生そのものが虚構だ。頭を動かせ、呆然とするな。強さを求める理由を………自分は何故この街来た? 何故強くなりたいと思っている? 何故好敵手に勝ちたいと思う?)

 

己に問いかけ続けてもいっこうに答えが出てこない懊悩、反論したいが言葉として紡ぐことが出来ない焦燥感の結果は………虚無であった。

何もなかったのだ。

己の懊悩に対する答えも導き出せず、反論する言葉も紡げない。今初めて、ガラハド・ヴァールは己が矮小であると真に理解した。

クラブの次期当主と成るべく強さを欲し、好敵手に打ち勝つために強さを求めた。だが、固執する理由、求める道理だけが宙に浮いていた。

まったく無いのだ。

何故クラブの次期当主になりたい? 何故父を超えたい? どうして好敵手よりも優れようと思う? 何故そう考え、目標とした?

 

そんなガラの内情を知らない綾子は少し心配になった。何か傷付けることでも言ったのかと考えていた時、ようやくバス停に目当ての駅前行きのバスが停車する。

 ノンステップの入り口が音を立てて開くのを見た綾子は、ガラの表情を見ていない。それはガラにとって救いだった。自分でも解る………顔面は蒼白だ――――まさしく井戸から這い出た蛙が大海で溺死寸前となっている様だ。

 

「やっと来たね? 五分遅れたのは痛いわね………きっと霊児さんたちは真っ直ぐ目的地に向かっているし、合流できるかな?」

 

 バスに乗り込む綾子は後ろの席を目指す。その後に無言のままガラは下を向いたまま歩いていると、バスがゆっくりと発進する。

呆然と………普段ならどんな些細な【気配】も見逃さず、気を張っているはずだったが、今のガラハド・ヴァールは不能に陥っていた。

そのガラの鼓膜にアナウンスが響く。

 

「次は《ラビリンス》です。ブザーを鳴らしても無意味です――――」

 

 変なアナウンスだ。これが日本流かと、ノロノロと視線を見渡すガラはようやく………乗客………いや、自分たち以外の気配がないことに気付く。

 

「これは………!?」

 

瞬間、怖気とともに罠に陥ったことも理解する。

昼の陽光が遮られ、風景が一瞬の内に黒一色に塗り潰されている。

住宅街と街路樹が流れる風景のはずなのに………窓の向こうにあるのは黒だけ。運転席へ視線を向け、ガラは急いで運転席を覗き込むが………居るはずの………運転手がいなかった。もう、疑う余地無く綾子へ叫んでいた。

 

「先輩!! もう(コフィン・)制作(メーカー)の異界内です!」

 

 警戒しつつバスの非常出口付近で立っている綾子の下へ戻る。

 

「そうみたい」と、綾子はバスの天井、床を観察してガラを見ようともしない。

 

「なら早く脱出しましょう! ここで奇襲されればいっかんの終わりだ!」

 

「うん。私は脱出する手段を構築するから、ガラ君は頑張って」

 

「えっ?」

 

 頑張れ? 間抜けにも聞き返えしてしまった。

 

「気付く………か」

 

静かに笑う女性の声は聞き覚えがある………餓えた虎の雰囲気と空気を、良く知っている。

運転席の背後にあたるその席が紫電を放つ――――光学を利用し、結界と障壁を変化することで風景に溶け込む迷彩を解いた女性………ガラの対戦相手たるジェナが肩に大剣を担いで座っている。

少し窮屈そうに立ち上がる際、大剣の先がブザーに当たる。普通なら「停車します」なのだが、「停車いたしません」と、何だか面白半分なアナウンスが律儀に響いた。そして、アナウンスの声に綾子は聞き覚えがある。棺制作の声だった。意外に面白い人かもしれない。

 

「しかし――――気配を殺していたのに………どこで気付いたの? 出来れば教えて欲しいな?」

 

「そうですね? ガラ君が運転席に向かった直後です。ちょうどガラ君の服があなたの迷彩に触れたとき、服の一部が消えていましたよ?」

 

「やっぱり? あの瞬間はさすがにドキッとしたから、構成甘くなったのかも?」

 

「………………」

 

 綾子とジェナの暢気な会話に頭痛がした。

今まさに戦おうとしている相手も相手だが、罠に嵌った相手も相手だった。

 

「さて? 暢気でお気楽な女同士の会話はここまでにするわね? ごめんなさい」

 

「あっ? どうぞ、お構いなく。私もやる事ありますから」

 

 それっきり綾子は再び眼を細めて天井や床へ視線を走らせる。

 同じく――――先ほどまで気楽な笑顔が剥がれ落ち――――獰悪で血に飢えた猛獣の笑みが変わりに浮かぶ。

 

「さて? ガラハド・ヴァールよ? 私達は私達で互いの血で狂乱の宴を開催しようかッ!!」

 

 牙を剥くように笑い、車内を蹂躙する大剣の一振りの後、「テッ、テッ、テッ停車いたしません」と、ラップっぽくアナウンスは響く。

 

 

 

運行バス内(棺制作発)。一〇時四八分。ガラハドと綾子の転校生組VS実は意外に面白いジェナと棺制作のバトル開幕。

 

 

 

 五月三日。一〇時二六分。蒼戸町ホテル《ブルー》。

 

 

 

 チェックアウトを終わらせた巻士令雄はホテルの外に出た瞬間――――「あれぇ〜令雄ちゃん?」と、間延びした声が背中に届く。

彼は生真面目で実直な性格をしているが――――この声の主にあえて無視を貫こうとそのまま大股でタクシー乗り場まで進もうとしたが、「無視か? 巻士?」と、男の声が響いた瞬間、後頭部目掛けて風切り音が迫るので振り向き、急いで手で受け止める。

 ぶち当たったのは野球ボール。しかも硬球――――投擲した相手と受け止めた人間の力が尋常ではなかったため、無残にも微塵爆発した硬球は巻士令雄の手の中で萎んでいた。

 一般客からベルボーイもギョッとしてその遣り取りを見守るが、本人達にとってはただの挨拶のため、殺伐とした雰囲気は皆無。破れた硬球を見やり、その後投擲した人物へ視線を向ける。

 微笑む如月夫妻はロビーのソファーに腰掛けて、来い来いと手招きしていた。とうとう眼が合ってしまい、巻士は大柄な身体を小さくしてその如月夫妻の元へ行く。

ゴミ箱に破れた硬球ボールを捨ててから、ソファーに座って話し込む時間も無いのでそのまま一礼する。

 

「何の御用でしょうか? 不死身鳥(ガルーダ)? 詩天使(サンダルフォン)?」

 

「気持ちの良い挨拶だねぇ〜? さすが令雄ちゃん。でも、何時ものようにアヤちゃんで良いよぉ〜? それに昨日から気付いていたでしょ? 視線(・・)()感じた(・・・)()()〜?」

 

「ああ、昨日浜辺で散歩していた時から気付いていた。だから、そう緊張する必要は無いぞ?」

 

「緊張するな、か………女教皇権限で現在、規制レベルを免除されたと聞いていますが?」

 

「それでもBだよぉ〜心配性だなぁ〜?」

 

「それでもBだ。それに俺達はお前と友達だろ?」

 

 ………この二人………というか、神殺しと話をすると調子が狂う。

 生まれながらの能力と言う点では巻士は凌駕するはずなのに………神殺しはその凌駕するはずの巻士を警戒させる。二人が言うようにそれでもBという点は、本気半分という意味だ。

 引退宣言している割には派手に魔術世界を引っ掛け回す“女王”真神京香より――――それに比肩するこの二人の沈黙が逆に恐ろしいと思うのは、《聖堂》に属している者全てが感じることであるが――――俺は裏切り者だ………殺るか、殺られるかの瀬戸際で何を分析する必要があった?

 自嘲を作らぬように、口元へ注意しながら巻士は静かに問う。

 

「それで何の御用でしょう?」

 

 巻士の質問に夫婦は息の合った動作で頷いていた。

 

「実はこの次期になると毎年、仁の墓に花束が置かれるんだが? それはお前か?」

 

 駿一郎の問いに巻士は首をかしげた。真神………仁………巻士、春日井、黒須の本家本元………否、最も血の濃い種族たる《先代大神》の墓は知っているが、今年は行っていない巻士は“嘘を言うレベル”ではない為、素直に首を横に振る。

 

「いいえ、今年は少々こじれた事情で行っていません」

 

 そう応じると………二人は無駄足だったかと………盛大な溜息を吐いていた。

 

「そっかぁ〜………残念。ごめんね? 呼び止めてぇ〜?」

 

「すまないな。呼び止めて」

 

「えっ? あぁ………いいえ………では、これで失礼します」

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 何故あの二人がこのホテルに居るかも、何故そんな質問をして来たかも判らないままホテルを出た巻士は、ワゴンで待機しているゲイルと合流する。

ゲイルが借りてきたレンタカーワゴンはタクシーに邪魔にならぬよう待機していた。それへ身体を滑り込ませるが………正直、巻士には窮屈だった。後部座席に座ると車が小さく軋む音すら発する。己の巨躯ため、助手席に座れないのだ。運転免許を取るための、苦い過去に顔を顰めつつ後部座席を何とか閉めた後、運転席にいるゲイルが緊張した声音で問う。それも、小声で………訊かれないような………警戒心を最大限に発揮した小動物のように。

 

「………あれは不死身鳥(ガルーダ)詩天使(サンダルフォン)………まさか我々を排除するために待機していたのでしょうか?」

 

 運転席のハンドルを握りながら言うゲイルへ、巻士は天井に頭を擦りつつも首を横に振る。

 

「警戒する必要は無い。ゲイル」

 

 緊張と警戒心の狭間で、遠距離からの魔術を構築しようと編んでいたゲイルは注意された。

 

「あの二人は京香さんと違って“常識”がある………ちょっかいさえ掛けなければ、こちらには無害だ。ちょっかい掛けて来る京香さんと違ってまだ人間と話している気分にさせてくれる。俺達はさっさとシーサイド・アイランドへ向かおう」

 

「つまり? 警戒の必要は無いのですね?」

 

 改めて尋ねたのは、心配性の性もある。だが………あの《神殺し》である。巻士だけでも無傷で目的地まで連れて行くにはどうすれば良いかと、まだホテルのロビーから視線を外せなかった。

 

「無い。むしろ、あの二人を怒らせたくない。“女王”より………“怖いぞ”?」

 

 連盟すら女王のあだ名で君臨する真神京香よりも………? 想像出来ないゲイルの背後で巻士は何を思い出したのか苦笑しながら、

 

「一個人で女王と比肩する実力を有しているが、あの二人は派手好き祭り好きな京香さんと違って“大人”だ。俺達が何かをしようとしていても、その“理由”が解らなければ、手を出してこないだろう………それに、女王と呼ばれる京香さんを相手にするより、俺は怒った二人を相手にするほうが恐ろしい」

 

 ゲイルは渋々と障害になる可能性から眼を外して、車を発進させる。

ハンドルを切ってホテルを出る。

一般道路は思いのほか空いていて軽快に車が前へ進んでいく。一般道路の信号待ちになると、「そんなに気になるなら昔、あの二人に逢ったエピソードを言おう」と、巻士は徐に如月駿一郎とアヤメの伝説というか、武勇伝を語りだす。

きっと――――こちらに気遣ってのことだと、ゲイルは背中越しに感じていた。

ゲイル等はただ捨石になるためだけに、巻士の下に集った。と、巻士本人は負い目として感じているだろう………だが、ゲイル等は違う。聖堂聖騎士第三位………聖堂第四位の“神槍”巻士令雄が頭を下げて、切に願った“あの言葉”は………自分の生き方を根本から覆し、根本から真っ当な生き方を啓示してくれたに等しい………それは感動でもあり、喜びでもあり………初めて《連盟》とか《クラブ》とか《退魔家》とかどうでも良いと思える“理”………何より心が、魂が震えた。

 

だからミスター・レオよ。あなたはあなたが正しいと思うことをすれば良い………あなたは我々よりも、間違った生き方はしていない。

 

そんなゲイルの背中――――否、ゲイルから発する“匂い”でどれだけ自分の信頼してくれているかも解るからこそ、巻士は己のちょっと無様で笑える話を持ち出すのは当然の流れでもあった。

 

「聖堂の吸血鬼狩り機関から聖堂聖騎士の〈神槍〉に昇格した直後の頃だ。京香さんが俺の噂を聞き付けて、どれほどの実力があるかとイキナリ問答無用で襲い掛かってきたことがあった」

 

 運転に集中しながらも一気にテンションケージは下回った………失望していた………噂の尾ひれが本当に聞き手に“優しく”された編集だと思い知らされた。

 噂では巻士令雄と真神京香の初対面時は、もうちょっと………こう………《綺麗》な話だったはずと、ゲイルは思い起こしていた。

真相は見も蓋もないことに絶望しながらハンドルを切って高速道路へ。ゴールデンウィーク内とはいえ、彼等が目指すシーサイド・アイランドへ続くフェリー船は、誰もが向かわない潰れた遊園地の性もあった。

 

「リンチにされた所を、あの二人は助けてくれたからな………」

 

「………リンチですか………それであの二人が止めてくれたのですね?」

 

「ああ………「一介の高校生相手に何、モリガンぶっ放すかなぁ〜キョーちゃん?」と、言いながらゲシゲシ、バキバキとアヤメさんは京香さんを蹴っていた。駿一郎さんはさすがに蹴ったり殴ったりしなかったが、ティースプンで額をペシペシ叩きながら、「本当の本当におまえはガキか?」と、屈辱的に正座させて延々とたたき続けていたな。インターネットで垂れ流されている某ボーカロイドの曲にマッチするようなリズムで、定期的にティースプーンをピシピシ叩いていたな。さすがギターリストだ」

 

「それもう、女王じゃありませんね。リンチにされています………羞恥モノです」

 

 ゲイルの意見に当時を思い出しながら巻士も重々しく頷いていた。確かに情けない………魔術世界の女王なのに………説教されている。

 そして中身は本当に子供である………噂くらいは聞いていたが、女王とは【それほど】荒唐無稽と暴虐無人を二乗した人間とは思っていなかったゲイルだが………むしろ、噂通りの“人”の方がよかったな………と。

 

「まぁ、だからかもしれない。俺はあの二人には頭が上がらないし、一〇代の頃に怪我も見てくれた。良い人たちだ」

 

 巻士が手放しで褒める人物――――そう改めて神殺しの如月夫婦を認識したゲイルだが、それでも昨日昼………あの緋色の雷龍は疑問に残っていた。

 脅威と言う点では《神殺し》も同じだが――――それは《理解》の範疇と情報通りだから多少の調整は済んでいる。最初からゲイルは《神殺し》を《視野》に入れてこの計画に乗ったのだ………もちろん棺制作、神宮院姉妹、ジェナ、黒須も………“残り”は“贄”になるか“餌”になるか………それとも“捨石”になるか解らないが………それでも《あの未知》は許容範囲を超えている。

 あの《雷龍》は………もし、自分の霊視が正しいなら………もし、《あの雷龍》を放った人物が敵に回るなら………神殺し三名よりも“危険”だ。

 

「ミスター・レオ………これは自分の好奇心です………いいや、きっとガートスも感じていることですが………」

 

 緊張と、発言を許してくれるかの狭間でゲイルは静かに、

 

「………黄翔高校………あの場に【聖王】が居ませんでしたか………?」

 

「居たが? それがどうかしたのか?」

 

 簡単に肯定する巻士だが………ゲイルとしては………【八賢老院】の全ての【賢者】がただ知りたく、ただ憧れ、ただ一目で良いから見たい人物。

【聖堂】では【救世主の救済者】だとか………それほどの人物に敵としての分析もあったが、本音では興味に惹かれていた。

 

「合ったことは?」

 

「ある」

 

 逢った………ことがある? それは相当の幸運だ。彼の《王》と繋がりあるのは《連盟》に席を置く黄雅里………それでもその《姿》を見た者は確か、現当主含めてたったの三人のみと、【烈悪なる正義】の異名を持つ黄雅里屡南自身が《連盟》に情報を提出していた。

 黄雅里の歴史は二〇〇年………この地に八〇〇年の歴史ある《退魔家》ですら、逢った情報は【賢老院】にすら入っていないのに。

 

「どんな方ですか?」

 

 逸話、伝説、彼の生き様により稀代の作曲家が手掛けたオペラすらある。そんな不滅の英雄――――不屈の騎士――――そして、現代の【裏側】ですら一部に語り継がれる伝説の王。

その男はどんな人物かと、期待を込めてゲイルは知らない内に熱のある声音で巻士に言っていた。

 

「アホな人だ」

 

「速攻!? しかも、アホって!?」

 

運転忘れて後ろを振り返りそうになったゲイルに、前見て運転しろと巻士に注意される。むしろ、先のアホ宣言のほうが、まずいのでは!? 裏切っているとはいえ、元々聖堂の聖騎士でしょうが!?

先代黄雅里当主の【情報】が正しければ聖堂初期を………支えた大人物でしょうが!?

 

「黄雅里の【提出】した情報が正しいなら………《聖堂》の【初代聖剣】でしょうが!? あなたにとっても【大先輩】でしょう!?」

 

 機密事項と禁則事項も無視して叫ぶゲイルだが、その発言をした巻士としてはまったく動じていない。むしろ己の発言がこの世で最も正しいとばかりに、

 

「アホ過ぎてアホと表記するし、アホばっかりしていてアホ以外の形容の仕方がわからない。あれを【先輩】と思うくらいなら、【杖】に向かって頭を下げたほうが百倍楽だ」

 

 とことん嫌な思いでしか無いのか………アホを連呼する巻士。

ある意味、ゲイルが初めて見る巻士の苦々しい表情がバックミラー越しに映っていた。

 

(どんな出遭い方をしたんだ!? ミスター・レオ!?)と、叫びだしたかったが、バックミラー越しに見るゲイルの気配に感じて、小さく咳払いしつつ、

 

「確かにアホは言い過ぎだな。頭のネジが数本抜けている上、言っていることが支離滅裂の麻薬中毒者よりも会話が通じない人間だ」

 

 アホより酷くなったような………。

 

「反対命題の方がまだ“人間”らしい。【あの人】と話すと嫌な気分にさせられる………“あれ”の言葉はいちいち“今更”のように効いてくるから腹が立つ………」

 

 憎々しい表情から、怒りすら感じる表情となった巻士の雰囲気にもう声を掛けることすら出来なくなる。

 百獣すら屈服する巨獣の巻士が、露にしている表情は………怒りよりも後悔の色が濃かった。

 

「………「お前が愛している人は幸せだ。《今からであろう》と、《これからも》」だと………ッ? “どこ”が“幸せ”なんだ………ッあァアアッ!?」

 

 巨獣が天と地へ向けて怒りをぶつけていた。

噴火山が天へ溶岩たる唾を吐き、大地を焦土へ染め上げるような勢いで………ぶつけることの出来ない………………怒りと悲しみに狼は遠吠えを放っていた。

車体は巻士の触れる末端部分から振動し、《巻士令雄》が内包する《力》で爆発するのではないかと、ハンドルを握って車を走らせるゲイルは唾を飲み込んで、その怒りが通り過ぎることを切に願う。

 

「俺の《妻》は………燐子(りんね)は死んだぞッ! 《王》よッぉ! 《俺》の目の前でぇッだァ!!! 呆気なく!!! 青信号の交差点で居眠り運転の車にだッ!! それの何処が幸せだッ!! 俺はッ!! その《場》をただ目の前で傍観していただけだぞッ!? ただ《愚か者》のようにぃ!! たかだかBMWだぞッ!? この《俺》が!! 大神の血族たるこの俺がッ!? ただ………見ているだけだぞ………? この世に牙向くモノへの《執行者》として………《守護者》の《末端》として《生まれた》俺が………どうして、たった一人………すら、守れなかったんだ………」

 

 巨獣の怒りは急速に静められていく………それは諦念や後悔では片付けられない絶望の淵。そして………《邪魔立て》するなら《殺害》するという………狂人しか持ち得ない………冷静さで。

 

「………………《今更》、あなたに請うことはない………あなたに………【最初】で、【最後】に請うことがあれば、《傍観》だ………首を突っ込むなら、《真っ先》に………」

 

 それに続く言葉はゲイルも解る………判断出来る………マグマも凍らせる冷気の言霊を。

 

「………【喰い殺す】………」

 

 理性や頭では解る………だが、これが自身に向けられた殺意と決意ではないと解っていても………荒れ狂うブリザードの殺気を間近に喰らっているゲイルには………逃げられないからこそ、逃げられるほどの空間が無いからこそ沈黙を課せられていた。

 息を殺し、神経を尖らせたまま高速を走り続けるとKEEP OUTのテープが目に飛び込んだ。

 

(何かの検問? それとも事件か――――?)と、疑問に思いながら減速し――――前方を見る。

 テープの向こうで眼帯を付けた男と眼が合う――――にっこりと微笑んでいるが眼は口よりも明確に語っていた。それも極上に危険で職業的な殺意で光らせる隻眼に、ゲイルは息を呑む。

 取り出したのはロケットランチャー。ハリウッド映画伝統のハイウェイ上の爆破シーンを再現すべく、隻眼の男はゆったりと肩に担ぐ。

 ここは拳銃所持すら罪になる極東の日本。

 その日本の地方都市ど真ん中で銃火器を引っ張り出し、法律を食い破ることを日常茶飯事とする組織は一つしか無い。黄雅里よりも表立ち、黄雅里よりも表立ってこの地方都市で好きに行動できる組織は、たった一つだ。

 

「ッ! おのれ! 魔女めッ!!」

 

 ゲイルの罵りを嘲弄するかのごとく無情にもロケットランチャーは発射される。

弾道がエンジンを抉り、弾道は凹む――――レンタカーを黒煙と紅蓮の逆さ瀑布の爆発で一気に呑み込んだ。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 爆風が遠くに吹く潮風に煽られて黒煙が揺れ動くのを見ながら、ガートス私兵部隊のレノはインカムを摘んで爆破炎上させたレンタカーから目を離さず、

 

「――――対象のレンタカーをショット。炎上中ですが――――まぁ、こんな《もん》で死んでくれる理由無いでしょう」

 

『こちらアラン。配置は完了した』

 

『こちらサラ。炎上確認。私のゾフィーとカテリーナで八つ裂きにするから………』

 

『止めろよ〜サラ? 得物に名前付けるなよ〜? こちらジュディーだ〜? ハイウェイの下にいる。逃亡した形跡無しだ。気をつけろよ〜?

 

『こちらマージョリーだ………』

 

 同僚の無線に苦笑したレノへ、奇策を持って賢者と巨獣を打ち倒そうとする魔女が静かに呟く。

 

『こっちの〈ドレスアップ〉は終わったぜ………さぁ? パーティーの時間だ――――』

 

 無線と共に重低音がレノの頭上に響き渡る。

 風を裂き、黒煙をさらに巻き上げる。

魔術と魔具で過剰改造した軍用ヘリの中で、ベレー帽と迷彩服に身を包んだマジョ子がインカム越しで全部隊へ激を飛ばす!

 

「野郎共! 仕事の時間だッ!!」

 

『『『『YA! YA! YA! YA――――HAッ!!!』』』』

 

 戦士の怒号を合図にしたのか炎もレンタカーも吹き飛ばして現われる巨獣と魔術師に、対魔術師専門のガートス兵が、今真正面から激突する!

 

「このクソアバズレの魔女がぁッ!! 腸引きずり出して、てめぇの口にブチ入れてやるぞぉッ!!」

 

 巻士が聖堂とラージェの手向けとして送った制作映画どおり、汚い言葉を撒き散らしながら燃えたレンタカーの屋根を蹴破り、“射手の侯爵レライエ”を両手に顕現し、ギミック仕掛けのボウガンに変形させる!

 ゲイルはもう賢者と呼ばれる静けさも冷静さを完全漂白し、眼に映る迷彩服と軍用ヘリ目掛けて出鱈目に光粒子の矢を放ちまくる!

 容易くアスファルトを穿ち、破片を巻き上がらせる光粒子の矢の雨を嗤いながら掻い潜り、疾駆し、魔術付加した銃火器で応戦する! 

 

「アッハハハッ! パーティーはこう〜だよね〜!! 何だが花火大会だわな〜」

 

 高速道路を見上げ――――戦車で射線ポイントへ移動。そのまま標準を合わせながらインカム通して、ジュディーはニヤニヤと嗤い、

 

「“ヘルファイヤー〜(たまや〜)♪”ってか♪」

 

 高速道路上で矢を放ちまくるゲイルに標準――――ゆっくりと標準合わせて、ケラケラ笑いながら大砲をぶち込んだ!

 軍人の職人芸とでも言うべきか、高速道路を出来るだけ傷つけないように、ピンポイントで標的に次々と砲を浴びせ、

 

「それでは乗じて“ゴートゥーヘル(か〜ぎや)♪”だな?」

 

 少し寂しくなった顎髭を擦りながら、マジョ子が乗る軍用ヘリを操り、機関銃をこれでもかと撃ちまくる!

 その圧倒的火力は、ゲイルがいくら魔術に長けていようと“物量差”は覆せない。光粒子の矢を機関銃の弾丸で蹂躙しつつ、

 

「では、真横で咲く花火をもう一回行きます」と、レノは新たにロケットランチャーを装填し、燃え盛るレンタカーと標的二人目掛けてぶっ放し、

 

「………乗り遅れた………どうしよう………えっと、えっと………鼠花火? それとも線香花火かな………?」

 

 何の意味かさっぱりな言語を並べつつ、大型二輪ハヤブサの爆音を撒き散らしつつレノと合流したサラは手に持った手榴弾をポンポン投げまくった。

 爆発、炎上、破壊は高速道路を縦へ横へと振るわせる――――真っ赤に燃え盛り、アスファルトの耐久限界をあらわす皹が走る――――それを視て………軍用ヘリのシートに座るマジョ子は、愛銃に弾丸を送り込む。

 

「さて? “神槍”? この程度で霊児さんに喧嘩を売ったのか? すげぇとこを見せてみろよ?」

 

ギラつく眼光と共にマジョ子の吐き出した台詞が合図となったのか、燃え上がるレンタカーの黒煙と炎が一気に収縮する――――レンタカーを中心として、黒煤に包まれたレンタカーの部品が散らかる中、巻士は大きく胸を仰け反らせていた。

シャツやジーンズは弾丸、ミサイル、爆風を食らったと解るボロボロな姿だが、まったく傷付いた様子は無かった。

傍らにはゲイルもいるが、その本人は蒼白である。身を低くし、強固な結界を張って呼吸を荒げながらも巻士を見上げていた。

 

 

「ゲフゥッ――――」

 

 

 口元から小さな火を噴き、

 

「――――ふぅ………酸素が無ければ火は燃えないからな。機転としては上手くいったが、ゲップを出すのははしたなかったな」

 

反省してか頭を掻いていた。

 

「ミスターッ!! やるならやると教えてくださいッ! 危うく俺は窒息死する手前でしたよッ!! 結界で守っていても“真空状態”はキツいんですよ!! 俺のことも考えて出鱈目なことをしてくださいよッ!!」

 

「「「「………」」」」

 

 ボケの巻士に突っ込みするゲイルの絶叫に、ガートス私兵部隊面々が凍りつく。

 

 あの荒れ狂う業火を鎮めるために酸素を吸い込んだ? 何ℓ………いや、何tほどの酸素を、吸い込んだんだ?

 

「クッククク――――良い! 実に!」

 

 凍りつく部隊長らと違い、マジョ子は大音声で笑っていた。飛んでいるヘリから飛び降りて巻士と同じ高速道路へ着地する。ビル五階の高さから飛び降り、まったく意に介さず十メートルの距離内で巻士と視線を交差させる。

 

「フッフフフフフッ! 良いシュチュエーションだったモンでな? 私と霊児さんがガチした時を再現したかったから、奇襲したんだが………ハッハハハハッ!」

 

 二年前、黄翔高校一年生だったマジョ子は当時のことでも思い浮かべていたのか、腹を抱えて笑っていた。

 

「巻士〜? お前はスター・プラチナか? 炎を消すためにそこら辺の酸素吸っただぁ? 本当に人間の皮被った恐竜かよッ!」

 

 ゲラゲラゲラゲラ笑い続ける魔女は、賞賛なのか両手で拍手する始末だった。

それを見てゲイルは幾分冷静な思考を取り戻し、圧倒的な戦闘能力差に狂ったのだろうと思った――――しかし、マジョ子が笑ったのはそんな意味など無い。そんな生易しい予想の範疇を遺脱していた。

 

「確信したぜ。いや、そんな生易しい単語じゃ意味を成さないほど、確実だ。今この時を持って確実に………お前じゃ霊児さんに“絶対”に、勝てない………確率なんて計算するまでも無い。〇.〇〇〇が地球を七週しても、限り無くゼロだ………決して“一”が付く奇跡は起きない」

 

 先ほどまで笑っていた人物と思えないほど、静謐な碧眼――――何よりも疑問を色濃く表わす――――哀れみすらある視線。

 

「なぁ? どうしてだ? お前の身体能力は確かに全てを凌駕し尽くしている………四五口径の弾丸を至近距離で喰らおうと傷付かず、ノーストップの電車と衝突しても無傷という脅威の耐久力。俊敏性はゼロから一気に“音速”へと持っていく超スピード。それらに支えられた身体能力から繰り出す剛腕は、〈物理攻撃の分野〉において〈神殺し(スレイヤー)〉にだって肩を並べる………お前の身体能力は地球史上まで遡っても敵わないだろう………お前の身体は生まれながらにして最高、最強、最上水準だ。はたから見たら、霊児さんは“ただの人間”だ。そしてお前は人の形をしただけのティーレックス………この“差”は誰もが結論付けるだろう………どんな視点から見ても、お前が霊児さんに勝つビジョンしか浮かばないだろう………そう――――」

 

 魔女は頭を振り、碧眼の瞳は哀れみから慈悲に等しい光を放っていた。

 散り往くものを見るように。

 

 

「“本当”の巳堂霊児を――――この“眼”で焼き付けた私以外、お前が勝利すると確信しているだろう………」

 

 

 

 何をホザく? イキナリ奇襲して亡き者にしようとした売女は? と、ゲイルは取り合わず鼻を鳴らして傍らに立っている巻士を見上げると――――その巻士の顔は強張っていた。そして――――溜息と共に、ゆっくりと口火を切る………「そうか………」と、小さく首を横に振って、改めてガートスの魔女――――〈連盟〉に所属する〈魔術師〉の中で、歴史に悪名轟かす忌々しいオカルト・マニアにしてドイツで禍々しい虐殺を実行した軍人崩れに“魔術”を吹き込んだとも言われているガートスに、

 

「二年前と一年前………俺は鬼門街から離れていたが、“鬼門換気時”に現れたのは書類で確認した………確か妖怪の“サトリ”………そして一年前は、ギリシャ神話のクロノスだったな………それらを撃退したのは〈神殺し〉の如月夫婦、戸崎の八部衆に連携したガートス私兵部隊………と、報告書では書かれていたが?」

 

「“あの人”が、自分の手柄を誇らしげに語るとでも? “あの人”が、そこらの“バカ”みたく、己の武勇伝を語るとでも思っているのか? 話さなくても良い、自分の“恥ずかしい失敗談”は話すのに、自分の“偉業”は語らない“あの人”が?」

 

 五年前の霊児しか知らない巻士――――いや、五年前………彼を見守り続けた“恋人”であり、巻士としてもその“恋人”が、〈霊児〉と会話するために必要不可欠な中和剤だったため………同じ街に住みながら敬遠と成っていた。

 触れることを怖れていた。

 

 あの恋人を失ってまだ、“人”であるらしい――――と、親友のカインの口から聞かされても、信じられなかった。

 それだけ巳堂霊児という狂犬を、間近で見てしまった巻士令雄にとって“狂剣”にして“狂犬”………誰彼構わず切り殺し、誰彼構わず鋭き爪牙を叩き込むことに躊躇を持たない人間の皮を被った修羅――――女、子供、老人、草木、ペットに至るまで“吸血感染”の症状が〇.〇〇一%でもあれば、瞬き一つせず殺し切る鬼の中の鬼――――その鬼の横っ面を引っぱたく(、、、、)ことが出来たアイツが存在しなければ………どこまでも、何処を間違えても………鬼のままだと。

 敵対するモノなら、【聖堂】や【退魔家】だろうが、喰い千切る修羅が、五年も大人しい筈がないことに対して、鬼の気紛れとタカをくくっていた。何時かは流血を求め、臓物の匂いを嗅ぐだろうと。

 だから、二年前と一年前の“鬼門換気時”で起こったことを自分で調べず、報告書どおりに受け取っていた。

 

 そんな巻士の表情を読み取り、マジョ子は静かに――――両手の愛銃を握り締める。

 

「お前はここで私達に負けたほうが身のためだ――――神槍。お前の敗因を今から言ってやるぜ!」

 

 両手の銃をクロスし、構えるマジョ子は厳かに、

 

「敗因は単純だ………てめぇの使命感か、都合かは知らないが、霊児さんに喧嘩を売った………てめぇに霊児さん(聖者)の拳と剣の洗礼は上等過ぎる………魔女の鉛玉で洗礼しやがれぇッ!」

 

 魔女の予言を涼しげに笑う巻士は、拳を握り締める。

 

「ヤツの拳と剣は甘んじて受けよ。ただし、君たちの鉛玉じゃ、役不足であることも付け加えて置こう!」

 

 

 一一時ジャスト。バトル開始。

 正々堂々不意打ち喰らわす魔女と軍隊VS規格外生物、巻士令雄と賢者ゲイル。

 

 

 

 五月三日。廃棄区画シーサイド・アイランド。一二時ジャスト。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 電車を乗り継ぎ――――何故かは知らないけれど未だに通行手段があるフェリーから降りたおれと美殊。

その潰れた遊園地を前にして………聳え立つメルヘンチックなシーサイド・アイランドの門を見上げていた。

 

「………錆びているな………潰れた遊園地だから仕方が無いけれど………」

 

「……………潰れた遊園地ですね………西部劇みたいな横風が悲しいですね………マジョ子先輩から聞いていますが………ここは蒼戸町よりにあるため、《ストリートファイト》………《クラブ主催》の舞台として、まだ使われているそうですが………《そのため》だけに、フェリーの通行も生きているとは思えませんでした………」

 

 兎のデフォルトキャラクターがにっこり笑っているが………雨の性か両目に錆びの後が走っていて泣いているように見える門を見上げれば見上げるほど、気分はすっかり滅入ってくる。その上、風が吹いて空き缶が遊ばれるように転がっていく。

 さらに気分が滅入るのは、この服装だ。

 今朝、居間で美殊が真剣な表情で、正座をしていったものだ。

 

「絶対これを着てください、これ以外は駄目です、これが誠の趣味に合わないのはよく理解しています。ですが、京香さんの作った服です。その辺で売っているケプラー繊維のジャケットより、対魔術も抗魔力も高く丈夫です。これを着て少しでも身を守ってください」

 

 高校二年生………今、どこから見ても、パンクファッション………世紀末救世主に出て来そうな格好です。

まぁ、もう五月だから長袖だとちょっと暑いかなぁ〜って思ったけど、黒のレザーでノースリープのパーカー………フードなんてどう考えてもいらないだろう? って思うのだが、角のみたいなスパイクあるし………両手首にはブレスレットなんてスタッズだし………しかも、このド派手なパーカーを霊児さんみたいに地肌の上に着ているし………変えの着替えとかバックに詰め込んでいるけれどさ………下はどうよ? 美殊ぉ〜? ファイヤーパターンのラインだぜ? しかも鹿革の靴だっけ? 頑丈そうな鉄板まであるブーツだぜ? 

 

「なぁ? 美殊? この格好、おれ恥ずかしいんだけど?」

 

「? 別に変じゃありませんよ? むしろ似合っていますよ?」

 

 にっこり言われて――――何も言えなくなる………それに美殊も何時も好んだスクールファッション………だっけ? まぁ、その格好じゃない………何ってぇーんでしょう………母ちゃんみたいなベージュのスーツですが、袖と裾に青のサンダーライン。なんだが………ラメの入ったシャツに見えなくも無いけれど、至近距離でよく見れば鎖帷子だ………そんな完全防備です。

 

「むしろ………私のこの格好ですか? ここまで来る間………かなりじろじろ見られました………」

 

「………おれも見られたぞ………」

 

「………重装備過ぎましたか? やはり………?」

 

「………うん」

 

「「はぁ………」」

 

 溜息を揃えてしまったおれ達はとりあえず、この潰れた遊園地の扉を開けて中へ入る。

 

「しかし――――おれ達が一番乗り? マジョ子先輩、霊児さん、磯部さん、ガラ坊もいないな………」

 

 遊園地の入り口を通り過ぎ、美殊は聳え立つ錆だらけの観覧車を見上げながら言う。

 

「そうみたいです………が、目当ての輩は居るから、問題ないですね」

 

観覧車の上を見上げ、美殊は酷く物騒な笑みを浮かべている。

おれは担いだバックを放置されたベンチに置いた。何気なく置いたけど、かなり緊張していた。

 

ビシバシ感じる敵意………闘気………殺気………むしろ、好奇心か? そんな視線でおれ達を見下ろしている《二人》の、奇襲に対応出来るように。

観覧車の天辺で――――太陽を背にして仁王立ちする双生児へ向かって、美殊はちょっと兄ちゃんとして将来を心配してしまう視線を向ける。

 

「――――さぁ、始めましょうか? 神宮院よッ!!」

 

「「上等、極上だッ! 真神よッ!!」」

 

 観覧車の頂上から飛び降り、双生児は軽やかに着地――――同時に鞘から抜刀!

 

「あたしは神宮院(じんぐういん)(こう)!!」

 

 右手に握った虎徹の剣尖をおれ達に向ける(こう)と名乗る中学生くらいの女の子なのに………発している空気は総毛立ってくる。

 

「あたしは神宮院(じんぐういん)(れん)!!」

 

 左手に握る村正の剣尖を向ける蓮も、喉を乾かす重圧を放っている。でも………お隣に立つ美殊はメチャ、ヤバい………青い雷がオゾンと空気を焦がし、建御雷神が顕現する。

 

「ウフフフ………愛しいくらいに小賢しいですね? いいでしょう? 真神当主、真神京香から譲り受けしこの軍神と武神で蹴散らしてあげましょう!!」

 

 あれ? でも、帝釈天は召喚していないぞ?

 

「さて………巴姉ぇと鋼太兄ぃとの特訓の成果。そして、新技の実験台に相応しく、無様に踊りなさい!!」

 

 あれは特訓と言うんだ――――美殊は? 何日も二人を貫徹させておいて――――巴姉ちゃんなんて、ゴールデンウィークが稼ぎ時のレジ社員なのに………眼の下クマ作らせたのに。

 そんなおれの視線で訴えているにも拘らず、言下――――左手に持った符札を六枚広げ、

 

帝釈天(インドラ)――――金剛(ヴァジュラ)!!」

 

 建御雷神と美殊を中心に、真昼の天を轟音と共に六つの雷がアスファルトに突き刺さる。

 それらは《剣》と言うには歪で………歪と言うには憚れるほど鋭い刃が六本………その六つの刃を建御雷神はゆっくりと手を伸ばして丁寧に背負う。

 

「さぁ!? 《帝王》を名乗る《実娘》らしく、私と戦え!! ズタズタのボロボロに切り刻んであげます!!」

 

「「いざッ!!!」」

 

 美殊の狂気に当たられたかのように構える双生児。

 

「尋常にィ!!」

 

 まさか!? 次に言うのはおれ!? まぁ、仕方が無いけれど、ちょっと恥ずかしいな〜?

 

「しょっ、勝負?」

 

 言った後は後悔した。

 だって、いきなり美殊と双生児が狂笑で、突っ込んでいくんだもん………。

 でも、ほかの人たちはどうしたんだろう?

 時間にルーズな人は嫌われると思うな?

 

 

 まともに現地集合した退魔家。

 黄紋町デンジャラス兄妹VS鬼殺し双生児のバトル開始。

 

 

 

 一二時一三分。黄紋町アーケード内。

 

 

 

 本当は一二時にはもう廃棄区画のシーサイド・アイランドに到着しているはずだったはずの巳堂霊児は歩行者天国をウロウロと歩き続けた。

 現在、巳堂霊児の出で立ちは普段と多少は違っていた。

 レザーパンツに素肌の上から赤いレザージャケット。そして、何時もなら布に包んだ日本刀――――なのだが、今彼が持っているのはギターのハードケースとショルダーバック。風貌もあいまって何処から見てもハードロックの兄ちゃんである。

 

「………………はぁ――――昨日に引き続き、何て日だよ………」

 

 歩行者天国の一番から七番まで歩き回りながら、通行人の雑踏の中で小さくぼやいてしまう。目的地に着くための駅に背を向け、ゲンナリしていた。

三〇分程前、改札口に誠と美殊の姿を見て声を掛けようとした矢先に違和感が生じた。

 やけに不自然な感覚だった。

 

 

妙に鋭い視線が美殊と誠に集まっていた。

 

 

 【聖剣】巳堂霊児が感じた不可解な空気。

誠と美殊の合流を見送り、駅を通り過ぎて視線が集まる歩行者天国を歩く。

美殊と誠に視線を集めていた連中(、、)()視線(、、)()合わせながら(、、、、、、)――――こちらに警戒を向けさせるため、【気】をその連中に向けて放つ。

 【闘気】も【殺気】も【気配】も無い。

 しかし、十分相手が脅威と感じる程度に――――【気】をほんの少しだけ。相手の技量を測る意味で仕掛けたが、予想以上に人数が多い現状にゲンナリとしていた。

 この人数を巻いて、シーサイド・アイランドまで行くのは少々時間を食うだろうと。

 

「………まぁ、しゃーない。マコっちゃんとミコッちゃんには悪いが、守りながら闘えないんだよな――――オレ。まぁ、危なくなったら逃げるかな?」

 

 後輩くらい守れるくらい強くなりたいのだが、〈守る強さ〉がありとあらゆる素養と素質を削り取って、今の巳堂霊児という【刀剣】。

 

「それにオレに殺気向けるなら解るのに、何でミコッちゃんとマコっちゃんなんだ? 六生経っても無意味なほど、恨まれて当然のオレなら納得いくんだけどな」

 

 ブツブツ独り言を呟きつつ、歩行者天国の八番街中央で足を止めた。これは相手に向けた合図――――“ここなら〈女王〉の店から離れているから、仕掛けるならどうぞ”と。

 

「まぁ、しゃーないな………あちらはどういう理由か解らないが………多少の情報収集くらいしないと、マジョ子に怒られる」

 

 賑わう歩行者天国の雑踏が静かになる――――対して通行人も霧の如く消えていく。

 “結界”が張られた――――それも、八番歩行者天国だけを切り抜くように。

 真昼で賑わっているはずの歩行者天国は一気に無人と化す。

誰も彼もいない中央で、巳堂霊児は無防備に突っ立っていた。前方から向かってくる一団と、後方からヒシヒシと殺気を放つ一団が霊児を挟む形で歩を進めてくる。

 

“前に五〇、後ろは四〇――――店舗の屋根に右四〇、左に五〇――――数えるのが面倒くせぇーな………”

 

 一五歳から二十代後半の男女計一八〇人。かなり腕に自信があると解る面構え。相当な経験も――――先ほど自身が放った〈気〉に対して、臨戦態勢を怠っていない。地の利も、数の理にも驕ることなく巳堂霊児をゆっくりと包囲している。

 

「えぇ………と? どちらさん? 一応、オレはこの通り戦う気は無いけれど?」

 

 頭を掻きながら言う霊児へ、前方の一団を率いていると解る二〇後半の女性が前に出る。

 シャギーのショートに泣きボクロが特徴で、紫色のツギハギを着た女性が静かに霊児を見つつ、鼻を鳴らした。

 

「戦う気が無い? なら何故こんな絶好の場所まで案内する? 【聖堂】の巳堂霊児?」

 

「オレを知っているなら話が早いかな? 一応、あんた等が狙っていた二人はオレの後輩なんだよ? だからさ? ちょっと止めて欲しいと頼みたかった。あと、悪いな? こんな場所まで足を運ばせて」と、前方の一団と後方の一団――――左右の屋根に隠れている連中全てに向けて、丁寧に頭を下げる。

 その行為だけで、一八〇人全員が総毛立った。

 息を殺し、死角を狙っていた九〇人は心臓を鷲掴みされたような気分だ。“奇襲”と“保険”が一気に叩き潰されたのだ。

 

「あと、改めて名乗っておくよ? 巳堂霊児だ。アンタは? この一団を的確な指示出しているのはアンタだろ?」

 

 静かに――――威圧も睨むも無くツギハギの女性を見定める霊児に、女は鼻を鳴らして口元を三日月に描いて笑みを浮かべ、右腕を高々と上げる。

 

「名乗ってくれたのは礼を言うが、こちらに名乗る理由は――――」

 

 霊児はただその右腕を警戒することなく見ていた。

 

 

「無い!」

 

 

 瞬間、振り下ろされた右腕を合図に前後九〇人の内味方の攻撃で死ぬ覚悟をもって前方後方二〇!

 槍、刀、剣、鉄恨、トンファー、ナイフ、エトセトラの凶器が雪崩れのように霊児を飲み込む!

 味方の攻撃で死ぬことも怖れない死兵たちが各々の得物を持って霊児に襲い掛かる!

 

「死ねぇ! 【聖剣】!! 貴様の首を獲り! 魔術世界一の“剣士”となる!」

 

「頑張ってくれ」

 

 刀を大上段から切り掛かるブレザー学生服を着た高校生男子の斬撃に対し、霊児は空いている手で刀の根元から圧し折り、折れた相手の刀を人差し指と中指で挟み込んだ後、ピタリと相手の首筋に当てていた。

 

「………えっ………?」

 

「あぁ〜刀って刃の真横叩かれたら意外に脆いんだ。それじゃ、そう言う事だから」

 

 “脆い”と言っても動く瞬間を叩き折ることなど、常人に出来るはずが無い。そして、何が“そういう”ことかと、口に出す暇も与えず後ろに刃を投げ捨て、高校生の首筋へ手刀を叩き込んで意識を絶ち、突っ込み権利を剥奪する。

 その上、何も考えず後方へ刃を投げつけた訳ではない。背後を狙って迫る鼻ピアスへの牽制であり、“投擲”である。迫る刃を己の十字槍で弾いた瞬間には、すでに巳堂は“投擲”した“刃”を追走していた。

 ギターケースを開き――――宙へと投げ、回転しながら落ちてくる日本刀を霊児は握り締め、“すで”に抜刀――――投げ付けた刃に刀を打ち付け、十字槍をかち上げた。

 

「なぁッ?」

 

「槍か――――まっいいか」

 

 だから何が“いいか”なんだ――――と、そこまで喉から言葉が出掛かるが、腹部へ刀の柄頭がめり込み、失神してしまい十字槍を手放してしまう。軸足を変えてターンすると同時にアスファルトへ落ち掛けた槍の石突を踵で浮かせつつ、左から迫るチェーンソーを持ち、紙袋を頭から被った敵の攻撃を紙一重で躱す。

 

「我はレザーフェイス流剣術の剣士ッ! 死ね! 聖剣よッ!!」

 

「何処が剣術だッ!」

 

 刀を中空へ放り、浮かせた槍を掴んだ霊児はそのまま躊躇無く、チェーンソーのエンジン部分へ槍の矛先を突っ込む!

 エンジンは火を噴き、チェーンは断ち切られて暴れ回り、紙袋を被った男の顔面を容赦なく叩き付け、顔面を血だらけにして絶叫とともにのた打ち回った。

 

「しまった! 軽い突っ込みのつもりだったのに!」

 

 やり過ぎたことを反省しつつ、宙に放った己の刀を追うために紙袋男の頭を足場にして飛翔する。

 

「いざ、尋常に勝負! 我こそは鉤爪式剣士の――――!」

 

「鉤爪の時点で剣士じゃねぇ!」

 

 素性も武具の説明も終わらず、旋風脚で一蹴して日本刀をキャッチした霊児へ屋根に陣取っていた女と視線が交差する!

 

「剣弓術五代目当主たる私の剣を受けてみよッ! 聖剣!」

 

 弓の弦を引き、矢の変わりに剣をやたらめったら放つ巫女に、霊児はワナワナと震えながら迫り来る飛び道具を刀で叩き落し、〈足場〉になりそうな剣は飛び石にして接近!

 

「剣術か弓術かどっちかにしやがれッ!」

 

 女性に手を上げるのは抵抗あったが、これは突っ込み。故にO.Kと勝手に解釈し、手刀で気絶させる。「ギャフンッ!?」と、芸人なのか、お笑い体質なのか落ちまで付ける敵にゲンナリしつつ、屋根の上で先ほど宙へ投げたギターケースをキャッチする。

 

「くたばれやぁ! コラぁ! ワシは釘バット殴打術の――――」

 

「ダァアッ! シャァッ!」

 

 往年のロックスターのようにギターケースで顔面を殴打してホームラン。お空に消える捨てキャラの安否を気にしつつ、無造作に背後から踊りかかろうとした輩へ抜刀術で峰撃ちしようとしたが、手応え無いためチラリと背後を見る。

 

「我、軟体曲(なんたいきょく)(しん)剣士(けんし)なり! ハッハハハッ! 我の柔軟さには貴様の刀も形無しであろうッ!」

 

「あっそう」と、刀を鞘に戻し、徐にクネクネ蠢いて気持ち悪い軟体人間の頭を掴んで、「フンッ」と、裂帛の声と共に掌低を叩き込んだ。屋根をぶち抜き、木材に蹂躙されながら下水の水飛沫を盛大に撒き散らす色物剣士へ、

 

「巻士ほどじゃないが、オレでもこの“程度”は出来るんだよ」と、穴の開いた屋根を跨いで行く霊児。懲りないのか、今度は真正面からストロー状の刃を加えながら突っ込んでくる剣士。

 

「吸収剣士、チュカ――――」

 

「あぁ〜もう」

 

 まともに相手するのも疲れたのか、霊児は加えているストロー状の刃目掛けて日本刀の鞘で思いっきり叩き込む。モチロン、咥えていたから喉奥に突っ込まれて嚥下している。だらしない――――それとも嗜虐性ある人間なのかと悩みつつも、顎をハードケースで跳ね上げた後は両膝へ踵を下ろして圧し折る。屋根から転げ落ちていく絶叫とか、「もっとまともな方法で倒してくれ!」とか言う懇願を無視して、屋根を突き破って奇襲する熱光線の刃を見て、良い機会だからと何時の間にかピースのフィルターを唇に挟んで、熱を発しているライトセーバー? ビーム刀? まぁ、もうどうでも良いかと、溜息を付きながら熱光線にタバコの先端を押し付けてニコチンとタールを吸い込みながら、続いて屋根を円状に切り抜いて現れた黒衣一色――――ガスマスクなのかシュゴー、シュゴーと効果音を撒き散らし、

 

「ダークフォース流二代目当主ダース――――」

 

「はぁ〜〜〜」

 

 言い終わらぬ内に、タバコの煙を吐きながら頑丈そうなマスクの顔面へ五回、無駄な演出を醸し出すマントの裾を踏みつけ、身動き出来ない相手に至近距離で水月、顎を跳ねる肘の二連撃を食らわせ、マスクがお釈迦になって白目を向いている勘違いの胸倉を掴み、しげしげと素顔を眺める。

 現れた素顔は何処にでもいそうな中学生くらいの少年だった。

 

「あちゃ〜………まぁ、これツッコミだから気を悪くしないでくれ」

 

 ぼやきながらも背後を襲おうと性懲りも無く来る相手に投げ飛ばして撃退しつつも、ライトセーバーとか、ビーム刀とか表記と版権に困る得物を奪い取り、軽く振りながらも左右に踊りかかる敵をぶっ飛ばして、

 

「何か、解るな………これは何か、まともと言うか………コレクターとして欲しいと思うな………」

 

 振るった瞬間の効果音を気に入って、縦横無尽に襲い掛かる有象無象の異形剣士らを片っ端から百人ほど叩き伏せ、

 

「何か、魔術世界の“剣士”も質つぅーか――――やだな………こんなのと一緒に“剣士”って表記されるのって………」

 

 溜息連発、やる気ゼロの霊児の表情――――だが、息の根止めるべく放たれる刺突、迫る袈裟、逆袈裟、胴、逆胴、小手、親指切り、股切り、脛切りなど前後左右放たれている斬弧の中を一歩踏み入れ“無”に返していく。お駄賃に〈一発〉喰らわせて、吹っ飛ばしていく。

 敵を吹っ飛ばし、ついでに敵の得物も宙に浮かべてジャグリングの要領で、得物を次々と変えながら敵を叩きのめしていく。

 

 霊児としては手を伸ばせば、〈勝手〉に当たってくれている感じである。

 殺意、殺気、闘気という〈意〉が、斬撃の前に放出している限り、躱すことに苦はない。

 当たったとしても、幾らでも防ぐ手段は〈百通り〉ある。

 躱す手段は眼を瞑っていても、攻撃を仕掛けられる前から〈千通り〉でも足りない。

 

 何より霊児にとって一番キツいのは、〈殺す手段〉は〈幾兆〉ある現実だった。

 

 まるで隙だらけ、まるで無防備――――まるで〈殺してくれ〉と………〈懇願〉しているとしか思えない連中が、〈数〉にモノを言わせて攻め立ててくるが――――〈数〉があっても向かってくる攻撃が、全て予習復習済みの小ドリルみたいなものである。

 

 出来うる限り〈気絶〉、〈失神〉を心掛けるし、細心の注意を払う。出来るだけ〈峰撃ち〉と〈拳〉。時折、ハードケース。そのたった〈三択〉を選ばねば成らない現実には溜息を零してしまう。

 

「げんなりだ………どうしてこうも、〈暴力の範疇〉で納められないんだか………はぁ〜ヤレヤレだな〜あぁ〜………やっぱ、昨日ガラの相手はマコっちゃんが最適最高だったな? オレがやったら、ガラは勝手に〈頑張って〉、勝手に〈死ぬ〉可能性あったからな〜………はぁ〜――――オレってどう〜考えても〈刃〉だからな………その〈刃〉向かって頭から突っ込もうとして来るからな………アンタ等も似たり寄ったりだよね?」

 

 左右挟撃の下段と上段の斬撃を、ブーツの爪先で下段を放とうとした相手の柄と握る指を蹴飛ばし、頭蓋を断ち割ろうと迫る斬撃はハードケースで防御しながら言うが、左右同時挟撃すら防ぎ切った敵の独り言など耳に貸すはずがない。

 

「何言ってやがるッ!」

 

「てめぇ、いい加減斬られろッ!」

 

「痛いから嫌だって。そんな訳で、すいません」と、口に出した後には、左右にいた二人へ顔面に裏拳後、両肩に肘と膝を叩き込み脱臼を忘れず行う。念のために両膝も折って戦闘不能状態に陥れておき、身体の痛覚が脳に伝わる前に綺麗な手刀と腹部の打撃で意識を根絶する。

 屋根の上にいる霊児に向かって突っ込む幾人の剣士たちは、瞬きする間に四方八方に吹っ飛ばされ、全員が戦闘不能のダメージで屋根やアスファルトに転がり落ちていく。

 相手の一手に対して、霊児は丁寧に気絶をし続ける単純作業。

 一七九人がたった二分もしない内に、誰一人己の足で立てないでいる現実を前にして、この一団を率いていた女は仲間が倒され、己一人だというのに霊児の凄まじい立ち回りへ拍手をしていた。

 

「さすがだ。予想以上の実力――――しかし、風聞通りではない【手口】だな?」

 

 霊児は首を傾げつつ、ぶっ倒れている連中を踏まないよう跨いで近付く。

 

「風聞通りなら、死屍累々の屍山血河たる地獄の光景が広がるはずだが………拍子抜けだ。地獄が見たくてわざわざこの街に足を踏み入れたのに………」

 

「何だよ? 全員、斬殺死体とバラバラ死体が出来上がるとでも思ったのかよ?」

 

 言いながら紫煙を吐きつつ、日本刀を腰のベルトにぶら下げていた銀細工のフックに繋げ、ハードケースを担ぎ直した。

空いた手を懐に忍ばせ、銀の杭を指に挟んで四本投擲する。

 適当に投げ付けた杭――――それが刹那の間に、息を潜めて気絶している味方の影から現れ、拳銃の引き金を絞ろうとした四人の肩に突き刺さっていた。

 肩に突き刺さった杭の激痛にのた打ち回り、悲鳴を上げている連中を一度も視界にいれず霊児は悠々と歩み続ける。

 

「最初に言ったはずだぜ? 戦う気は無いって?」

 

 中空に霊児が放った敵の得物がバラバラと落ちていく――――それも、計算したのか………それとも、このような形で敵が倒れると解っていたのか――――誰一人傷付かず、アスファルトに突き立っていく。

 

「戦う気は無い。か………殺す気など無いという意味か?」

 

「何でそんなに物騒なんだ? まったく――――」

 

 ハードケースを肩から滑り落し、霊児の足を掴んで身動きを封じようとした女の頭にハードケースの角が直下。足元でギャフンと、またベターな声が聞こえた。

 

「“五年前”のオレならよく知っているようだけど、オレはもう二十歳で大人だぜ? そうそうハッチャけるかよ?」

 

 落ちたハードケースの中身が零れ落ちる――――無骨な騎士剣と中華剣が鞘に納まり、鎖で縛られていた。

 

「まぁ――――アンタが最後みたいだから、さっさと済ませたいんだけど? オレはこれから用事があるしな――――」

 

 騎士剣と中華剣をリフティングの要領で浮かせ、鎖の戒めから解き放たれた騎士剣と中華剣の鞘を片手で掴む。日本刀の下にあるフックに引っ掛け、騎士剣、中華剣が左腰縦一列に並ぶ。鎖は開け放たれたハードケースの中に吸い込まれ、フィルターに燃え移りそうなタバコをポケット灰皿で押し消す。

 

「でぇ? 本当、アンタ(、、、)誰だ?」と、ここで初めて霊児は雰囲気を変えて言う「ぶっ倒れている連中は〈オレ〉倒して、名を売りたい魔術世界の有象無象な剣士達だが………アンタは違うな? どっちかと言うと退魔家かな? 七家もあるし、オレの知らない退魔師が居ても不思議じゃないけれど――――」

 

退魔家(、、、)などではない――――私は業魔家だ。この名前くらい聞いたことはあるだろ?」

 

 業魔と名乗った女に霊児は心底疲れた溜息を吐き、頭を振った。退魔家に敵対する敵。そして退魔家の美殊と誠に、強い気配を放ったのもこの女と理解はした。が、

 

「おいおい………ちょっと待ってよ? アンタ? 昨日、今日立て続けて起こっていることと関連性があるのか? 〈業魔〉? その上で巻士の裏切り? 巻士と業魔って全然繋がりが見えないぜ? 〈神殺し〉と〈七大退魔家〉の〈絶対敵対者〉と手を組むなんて、巻士はこの街で死ぬ気か? 怒りに任せて京香さんが舞い戻るぞ? あの人型台風が?」

 

 五年前の巻士談、「京香さんとは酒の席、めでたい席、お祭りのお誘いは絶対乗らないようにしている」と、かなり怖れているというか、避けている女王が怒り狂うマネだけはしないはずなのに。

 

「さぁな?」

 

 女は混乱する霊児の表情を見ながら、喉を鳴らして笑った。

 

「それが狙いなんだろう――――あの少女(、、)の策は【私達】も舌をまく。まさか、〈女王〉を潰すために〈大神の分家〉を衝突させようと考えるなど、まさに悪魔の感性だ。手段を選ばない魔王の策だ。この街を完全消滅させることすら厭わないとは………魔術世界全ての魔術師が欲しがる霊地を消すなど、魔術に係わる全てを敵に回す行為だ」

 

 ますます質を悪くする笑みを浮かべ、両手を腰に回して二本の手斧を取り出す。

その笑みの正体を静かに観察した霊児の顔には、もうやる気の無さも絶えずあった苦笑も無くなる。

 

「〈巻士〉の周りにいるのは巻士を〈慕う連中〉と、オレを()りたい〈剣士〉――――それに乗じてこの街の〈表〉を支配するガートス家、〈裏〉を支配する〈神殺し〉も潰すために現れたのが、〈業魔〉ね………なるほど、“あの人”が出っ張るわけか。くそ………何が“オレの手助けが必要なヤツじゃない”〜? きっちりと“大きなお世話”をしに来てるじゃねぇか………」

 

 あぁ――――腹立つな………と、ブツクサ呟き、とうとう女と霊児の距離は二メートルも無い至近距離。

 

「それより、女の人に手をあげたくないから、このまま帰って欲しい。アンタの実力だとちょっと(、、、、)真面目(、、、)に闘わないといけないようだし」

 

「………おいおいおいおいおい? お前ッ? キ、キ、貴様ぁなぁ――――?」

 

 両手を相手に見え易いよう広げて言う霊児の態度と、何の脅威も感じていないのか、その双眸が敵として立っている女すら見ていない。

 敵対するために立つ、女は歯を砕かんばかりに喰いしばり、瞳孔は開き切っていた。

 

「舐めるのも大概にしやがれぇッ!!」

 

 両手に握った手斧が豪風纏って振るう!

 女の細腕で繰り出された右の兜割りを半身で躱すが、アスファルトは粉々に砕け散る!

 アスファルトの残骸が宙に浮く最中に左の手斧は霊児の胴を掻っ捌こうと迫るが、風に舞う羽毛のように――――柳のように――――ゆったりとしなやかに――――滑らかに躱す。

 

「やはりこちらの攻撃を、攻撃前に躱すか――――だが!」

 

「うん――――ッ!? うぉッ!?」

 

 イキナリ、予想外の位置から飛んできた手斧の軌跡に、身を屈めて辛うじて避けたが――――相手の〈意〉が自分に向けたモノでも無いのに、第二撃が迫ってきた。

レザージャケットの左肩を掠りながら通り抜ける手斧――――殺意はある。殺気もある。闘気だってある。

 

なのに、自分には向けてはいない?

 

転がりながらも霊児は女が握る手斧が、最初の一撃で砕かれ、撒き上がったアスファルトの瓦礫を打ち砕く一瞬を見て理解した。

 

「………最初の一撃は瓦礫を作るためかよッ!?」

 

「〈殺気〉、〈殺意〉、〈闘気〉を読まれるなら、〈他〉を狙えば良い! お前に一撃を与えることを〈二の次〉にすれば、あとは確率の問題だ!」

 

 無差別攻撃だった。確かに、他の連中が寝ている今なら最高の手段。

 霊児の周りに舞い上がるアスファルトの瓦礫から粉塵目掛けて、手斧を縦横と振り回す女は勝利を確信したかのような笑みを浮かべていた。

 だが――――霊児は困った眼で見ながら、

 

「………考えたみたいだけど、オレも〈同じこと〉するって考えなかったのか?」

 

 霊児が呟いた瞬間、流星が閃く。

【静】と【動】の狭間も無く、一瞬にして騎士剣を抜剣し、女が狙った瓦礫目掛けて。

 

 

 手斧の刃と騎士剣の刃が、衝突する前に瓦礫は挟まれ、砕け散る。

宙に浮く瓦礫を、手斧と騎士剣が次々と粉塵と化して消え去ってしまう。

 霊児としては簡単な解答だった。

 自分に向けていないなら、向けている方向に刃を振るえば良いだけのこと。

 躱せないなら、防げば良いだけのことだ。

 霊児を取り囲むように舞い上がっていた瓦礫は無くなり、変わりに手斧と騎士剣が甲高い鋼の噛み合う音色を響かせる。

 

 下から上へ放とうとした右の手斧の刃は、騎士剣の切っ先で防がれている。

 上から下へ放とうとした左の手斧の刃は、騎士剣の柄頭で防がれていた。

 右、左、フェイントを織り交ぜようと――――ピタリと吸い付くように、騎士剣から離れない――――放してくれない。

 

「………あの小娘………私の〈速度〉ならこの〈策〉で打ち破れるとホザキやがって………ッ!」

 

 完全に詰められたと解ったのだろう。女は毒つき、吼え、霊児を殺すとばかりに睨む。

 

「なるほどね………〈少女〉の入れ知恵か………なるほど。因みにこの〈策〉でオレは確かに試合方式で、一本負けしているよ………でも、それはあくまで〈五年前〉だ。後にも先にも、この〈策〉でオレに〈一本勝ち〉しているヤツはたった一人だ。二番煎じで無理があるぜ?」

 

 鼻を鳴らし、手斧を解放してやるとたたらを踏む女に対し、騎士剣を腰の鞘に戻した霊児はもう女を敵とも見ず堂々と横切った。

 

「大体解ったぜ。浅生の件から磯ッちゃんの件。そして、この巻士の一件………全部、アイツが暗躍しているのか………“過ちを過ちのままにするな”………か………確かに五年前のオレが犯した過ちが、引き金になっている………どんな弾丸が弾倉に入っているかは、解らないが………」

 

 とんだ茶番だと背後の女にも聞こえるほど毒付き、

 

「アンタ等〈業魔〉が何企んでも良いけど、この件から手を引けよ? じゃなきゃ、ちぃいと痛い目合わせに乗り込むからな?」

 

 結界と現実の境目に向かって振り向きもせず歩く霊児に、

 

「大概にぃ――――ッ!!」

 

 一足飛びで霊児の背後へ追い付き、

 

「しやがれぇぇええッ!!!!」

 

 両手の手斧を振り被り、霊児の頭をカチ割ろうとした瞬間、霊児はすでに振り向き手足を閃かせる――――両斧の軌道を縫い、両手首に手刀を叩き込み、女の両腕が弾かれ、万歳をする格好になる前に、左足はすでに甲と踵で脛に蹴りを放った後だった。

 

枯れ枝のような音が女の両手首と、両脛から発し――――手首はありえない方向に曲がり、手斧の重さでブラブラと振り子のように動いている――――両脛は外側から放たれた蹴りによって圧し折られたと女は直感するが――――内股のような格好で膝を付く前に――――、

 

「いい加減にしてくれ。オレは先を急いでいるんだ――――」

 

 襲い掛かった有象無象と同じく、首筋に手刀を叩き込んで踵を返す。

 女の意識が途絶えると同時に、風景に紫電が走り、結界が遮断していた“現実”が浸透する――――再び雑踏が舞い戻った八番歩行者通りに、無数の人間が屋根や地面にぶっ倒れる様を見て悲鳴とざわめき、中には面白半分に携帯電話のカメラでシャッターを切りまくる一般市民らを見向きもせず、雑踏と人だかりに紛れながら霊児はシーサイド・アイランドへ向かう。

 後輩らには決して見せない――――修羅の顔で。

 

 

 一二時三五分。巳堂霊児VS一七九人の剣士と業魔。

 巳堂霊児の圧勝。

 

 

 蒼戸町廃棄区画港倉庫。一二時三八分。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

足元で鼠が駆けずり回っていて、衛生面の最悪さに鼻を鳴らす。海面で泳ぐ魚を恨めしく眺めている野良猫。何より最悪なのが、わたしから離れた位置で野良犬がわたしから餌の施してもらおうと、クーンクーンと鳴いていることだ。

二十分前に近場のコンビニで買ったサンドイッチを一つあげてしまい、すっかり懐いていた。もっと欲しいと懸命にアピールしている。

野良犬にはさっさと消えて欲しかったので、ジャケットのポケットを弄り、一本だけあったカロリーメイトを放り投げてやった。

めざとくわたしから餌へと関心を向けてすっ飛んでいく犬から視線を外し、港倉庫の扉に背を預けて空いた時間を利用し、昨夜に掛けて結界を施しておいた本を何気なく開く。

 

 聖堂を襲撃してまで手に入れた真神正輝の著書、魔神の書――――どんな時限爆弾かも判らないから、念には念を入れて結界を施し、とうとうその最初の一ページを捲る――――背筋が泡立つほど馴れ馴れしい一行目が、眼に飛び込む。

 

 

やぁ。蒔恵――――ぼくは君の味方だ。

 

 

胸が悪くなる一文に本を燃やそうかと思ってしまうが、あの【黒白の魔王】が無意味に“何か”を残すとは思えないと踏んだが………ここまで変態じみた方法でわたしとコンタクトを取ろうとは――――さすがに気持ちが悪い。

何より気味悪さはつらつらと書かれた文字からにじみ出ている。黙読していてもその気味悪さはどうしようもない。朗読など絶対にごめんね。

幾重も張り巡らせた【結界】でも、この気味悪さは封印出来ないようね。

 

 

さて? 君が僕を頼って、僕のこの本を手にしている。まぁ、色々な人がこの本を見るから謎かけ要素をふんだんに盛り込んだ文章になってしまったが、頭脳明晰な君のことだ。すぐに判るさ? 聖堂が保管している禁術書以外の魔術書を、ジャポニカに書き写してしまうほど才女なのだから?

 

 

「そう? 嬉しくないけれど、ありがとう」と――――知らず口に出して次のページを捲ると――――“どういたしまして”と、律儀に書かれているのは笑ってしまう。

 こうまで禍々しく、薄気味悪い者はもう人間ではない。まさに【魔王】だ。

 

 

気味悪がっても、僕の本を手放さないのは解っているよ。

君の目的、君の復讐、君が自分の笑顔を取り戻すための戦いを。だから、僕はそんな君に心打たれて協力しよう。もうこの世界に居ないけれど、全身全霊で君の手助けをするよ。でも、その前に、まずここら辺で一息入れる意味で本を閉じてくれないかな?

 

 

 綺麗な文字が徐々に乱れ、筆圧がまばらになっていく。

 まるで怒りを表わす様に………。

 

 

「?」

 

 

 訝しげに次のページを捲った――――そこに飛び込んだ一文字は筆圧も二ページ分全てを使って――――たった一文字、血のように赤い文字で。

 

 

 狙われているぞ。本を守れ。

 

 

 眼に飛び込んだ文字の意味を理解し、本を閉じたと同時に横っ飛びする。受身も何も無く飛びのくと、真昼の蒼天から真紅の雷が轟音と共に落ち、コンクリートを木っ端に砕く。

 野良犬、野良猫がその轟音に驚き、吼えながら一目散に逃げていく。

 あと数瞬――――あと刹那の躊躇があれば――――真紅の雷によってわたしは焼き爛れていた………いや、完全に本を狙っていた。わたしは死にはしないが………きっと、本を奪われていた。頼みの綱が奪われ、破壊されていた。

 攻撃手の気配を眼ですぐさま追う――――コツコツと、踵を鳴らしてこちらへ歩く人影を睨む。

波打つこの港倉庫を目指し――――ゆっくりと、慌てずに向かってくる。

豪奢な緋色の槍を肩に担ぎ、柘榴のような赤い外套――――だが、纏う衣服と気配が………昨日とまったく、全然違う………眩いばかりの真紅の鎧――――いや、真紅に染めた白金の鎧とでも言うのか? 左右に雄々しく広がる孔雀飾りの兜――――その色合いに添える一束の金糸が――――襟首から流れる金髪だと気付くまで、随分時間が掛かった。

 

「…………………あっ……………」

 

 敵対者を分析、情報を仕入れるため霊視するが――――判断出来たことは――――これを“相手”に………あの狐狩り――――魔王に尻尾を振ったあの黒須は………殴ったの?――――いくらこの世の執行者たる使命と宿命に相応しく、狂人でも持ち得ない〈精神力〉と、神の直系如く強靭な〈肉体〉であろうと………この〈魂〉を少しでも見れば――――霊視でもすれば………解る筈だ。

 

 【霊視】すれば――――わたしを目掛けて歩を進める男の【魂】が判る。

 どれだけ切り刻もうと、どれだけ砕こうと、どれだけ粉微塵にしようと――――この男の“魂”は価値を変えない。変質することがありえない――――分けて、分けて、分けても分霊(ワケミタマ)――――どれだけ魂を切り分けても、その尊厳、威厳、美麗さをまったく変える事無く、魂の存在価値を眩く輝かせる男――――【世界を統べた王冠】も、【王侯共】が喉から手を伸ばそうとも届かない【黄金の玉座】も、【金剛石と黄金を彩る剣】も、【清き者を待つ盾】の懇願すら背を向けて――――【愚者の苦道】を行く男――――【王冠】、【玉座】、【王()】無くとも、この【魂】なら――――必要ない。

 

「よぉ? お嬢ちゃん? その【本】を素直に渡してくれるとは思わないが、まずオレと話をしようぜ?」

 

「………………?」

 

 何を言っている――――何を言う………? 先の奇襲――――いや、昨日、わたしと眼を合わせた瞬間に、わたしを亡き者出来た男が言う台詞にしては相応しくない――――。

 

「つまりアレだな? お嬢ちゃんの目的は決して(、、、)間違っちゃ(、、、、、)いない(、、、)から(、、)()? お嬢ちゃんの問答無用に本を奪うのも手だが――――自分の選択の方が後悔しないだろ? あと、さっきの攻撃か? ごめんな? 驚かせて? あれはお嬢ちゃんに向けたんじゃないんだぜ? ほら? すぐ近くであの野郎がニヤニヤ笑っていたから、ついヤッちまったんだ?」

 

 支離滅裂に言葉を並べて揃え、謝罪するも――――どこか、わたしの先を取るような台詞には疑問と猜疑心がグルグル回る。

 

「………何が判るっていうの? イキナリ現れて、イキナリ何を言うの?」

 

 闘いに来たのなら四の五と言わず、その槍でわたしを突けば良い――――ただし、わたしも黙っている理由はない――――わたしの目的の障害ならこの場で潰してやる。

 何時でもこの男に【最速】の【一撃】を叩き込めるよう、身構える。身構えるが――――わたしの【一撃】では届かない――――【神速】でなければ、届かないと本能が理解して動けない。

 

「うん? 判っているってぇのは、お嬢ちゃんのしていることには愛がある」

 

「………あ、愛?」

 

 一生涯決して言われることも、言うこともないと思った単語がいきなり衝突してきた。

 毒気も殺気も一気に抜かれたような気分に陥る――――何? いきなり愛? 思わず聞き返してしまうけど――――本当何を言っているの? 頭が夏を先取りして湧いているじゃないの?

 

「オレのオフクロもそうだったな――――オレを守るためお姫様暮らしでロクな生活能力も無いのに、女手一つで育ててくれたよ。人から遠ざかるように森ン中でさ――――まぁ、鳥と遊んでいたらその鳥が、何時かオレを森の外へ誘い出すんじゃないかと疑っちゃってさ? 森ン中の鳥全部殺しちゃったんだよ?」

 

 昔のことを思い出しながら、男は相好を崩して豪快に笑い始める。

 クシャと、美麗な顔が一気に子供のようになる。

あれには呆れたとか、本気で母親に対して怒ったとか言いながらも笑っていた。清々しいほどに、笑っていた。

 

「それは――――まぁ………思いっ切りぶっ飛んだ母親ね――――って? 違う! その話とわたしとどう繋がるの?」

 

 尋ねた瞬間、後悔が胸に広がる――――これではまるで相手のペースに呑まれているではないか。

 

「うん? ああ。オレが言いたいのは、アレだぜ? お嬢ちゃんとオレのオフクロは良く似ているってことだ。【誰か】のためなら、幾らでも頑張っちゃう性分なんだろ? 何でもしちゃうタイプなんだろ?」

 

 このわたしが? 【誰か】のため? バカバカしい――――全くもってアホらしい。

 

「フッフフフ! フフフフ………このわたしが? 【誰か】のため? 誰彼構わず巻き込んで、誰彼構わず駒とするわたしが?」

 

 愛だのとほざいて、わたしを懐柔するつもりかもしれない――――もしそうなら、何てバカバカしい。見下げ果てた愚者だ。今時そんなので懐柔される人間など、少女マンガも少年マンガの中ですら存在しない。

 しかし――――そんなわたしの思案すら見透かすように、太陽によく映える――――真剣な表情で、

 

「私利私欲で誰彼問わず、誰彼構わずに目的を果そうとするモノは、魂の価値を下げる行為に等しい――――その本の著者が良い例だろ?」

 

 男が指差す先はわたしが持っている本――――魔神の書。

わたしへと静かに向けるその碧眼は――――真っ直ぐにわたしを理解しようと――――己の立場も無く、わたしの目線で、わたしが見る風景を見るかのごとく――――わたしに歩み寄ろうと、【努力】をしている。

 わたしが、どれだけこの男を見下げ果てた眼で見ても――――まったく揺るがない碧眼でわたしを見詰めている。

胸が悪くなる――――胸の奥がジクジクと痛くなる――――。

 

「でも、お嬢ちゃんからは本に漂う気配がないぜ? 私利私欲かもしれない――――けどよ? 根っこは違う。お嬢ちゃんは【欲】と言い訳しているが、それってやっぱり愛だ」

 

 何度も何度も、愛だな、うん愛だ、やっぱり愛だ。と――――こっちが恥ずかしくなるほど連発し、ゆっくりとわたしとの距離を詰めていく。

 もう――――互いの手が伸ばせば触れるほどまで。

 

「胸に手を当てて耳を澄ませろ? お嬢ちゃんの中で生きている【お姉ちゃん】は、望んでいることなのかを?」

 

 殺すなら絶好の距離――――不意打ちで最速の一撃を放てる好機だ。

でも、間近で見上げた男の深い碧眼に吸い込まれるほど見入ってしまう。

 過ちも、穢れも、罪も、罰も内包している。裏切りも、後悔も、懺悔も、無知も、叡智も混濁させているのに、それなのに穢れ無く、清らかなに、わたしを信じるような眼で何を見ているの? わたしを何故、曇りなく信じるようにわたしと眼を合わせられるの?

 

「………あんた………あなたは、何者なの………?」

 

 判らない――――解らない。

穢れと過ちと罪と罰を背負っておきながら、どうしてもこんな純粋無垢な瞳でいられるのか。

 

「うん? ああ〜悪ぃな? 名乗ってなかったな? オレは――――」と、男が名乗ろうとした時だった。

 

 脇に挟んでいた本から一枚分のページが破れたのか、風に乗ってひらりひらりと舞い上がる。

 そこには“ペレトゥル”と――――狂気を迸らせた文字で書かれ――――その紙がいきなり青白い炎によって燃えカスとなった。

 

 潮風に乗り、ページの燃えカスは攫われていく中――――「最悪なタイミングだな?」――――男の視線がわたしから離れた。その視線はわたしの背後に向けている。

 同じ人物かと勘繰るほど、男の顔は警戒と隙を窺うように睨んでいる。

 

「最高のタイミングと、言ってくれないかな?」

 

 おぞましいまでに、煮え返るほどに、混じりっ気無く邪悪な気配に、わたしは身動きも呼吸も出来ない。

 むしろ――――どこから現れたのかも判らない。

初めて聞く声でも、一つだけはっきりとしているのは、わたしの傲慢の魔王ルシフェルが怯えている………切り札として忍ばせている欲望、怠惰の魔王も恐怖に慄いている。

 

「蒔恵?」

 

「はい………ッ!」

 

 背後から声を掛けられただけで、死ぬほどの重圧が襲い掛かってくる。強いられた緊張に咳き込んでしまう。

身体中が痛い。

身体中が高熱に犯されていたかのように、呼吸もままならない。

手を押さえて咳き込んだときには、血がベッタリと掌に付いていた。背後にいるだけで、わたしは【破壊】されている。

存在しているだけで、破壊する邪気にわたしはもう動けない。膝を付きそうになる。

 

「僕はそこのクソッタレをズタズタに殴ってズタズタに引き千切って――――」

 

 一言、一言毎に殺意を増幅させていく。

 港に波立つ海から次々と大小の魚類たちが腹を向けて浮かんでいく。

 

「これ以上無いっていうほどズタズタにして、ボロ雑巾にしなくてはならなくてね? せっかく逢えたけどここで少しお別れしよう――――さぁ、倉庫の〈中身〉を忘れず、ここから立ち去るんだ? 良いね?」

 

 わたしは後ろを見ず――――いや、怖い。怖くて振り向けない。そして、声を交わしたくなかったから、頷くだけにする。

 

「良い子だね? 蒔恵? それでは早くこの場から離れた方が良いよ? ほら? 君の目の前にいる色男が君を誘惑しちゃうからね?」

 

 優しげな口調、優しい声音、優雅なほど紳士な態度に、チョッとした茶目っ気――――でも、背後の男を中心に殆どの生命が蹂躙され、破壊の限りを尽くされ、絶命していた。

 港倉庫の扉までの距離を何とか歩く最中――――波に浮かぶ魚達の腐臭が波と風に乗って鼻腔を突き刺さる。

さっきまで走り回っていた鼠、海面に泳ぐ魚を眺めていた猫、この倉庫をうろついていた犬すらも――――穴という穴から血を垂れ流し、激痛の末に死んだと判る骸の数々。

唾を飲み込むと、自分の口の中が血の味しかしないことに、私の身体の破壊は続いていることを知る。

扉一枚分のちゃちな隔たりでもいいからと、倉庫の扉を閉めて碧眼の男も、いきなり現れた男の姿も見ずに閉め切った。

日の光を遮断した暗い倉庫だが、ここは蒼戸町廃棄区画――――ストリートファイターたちのバトルステージのため、埃っぽいが頻繁な出入りがあるので靴底が無数に刻まれている。

人間の匂いが、染み付いている。

まだ、この倉庫は破壊の蹂躙にあっていない。

倉庫の奥へ奥へと突き進む。ときおり空き缶や鉄パイプに躓きつつも、元は事務処理のために充てられたのだろう。ディスクや椅子にソファーが並ぶ一室に付いた。

空になったコンビニ弁当の容器が山積みになり、無理矢理電気を通して使っている冷蔵庫の扉は開けっ放しだった。もちろん冷蔵庫の中身など喰い散らかされている。

野菜は判るが、調理もしていない生肉も香辛料も調味料も全て空だった。

 

「一〇〇キロ分の食材があれば、二日くらい持つと思ったけれど………半日すら持たなかったみたいね?」

 

足場すらなく二リットルペットボトルが転がり落ちているのを見てから、わたしはソファーの上で膝を抱え、親指の爪を齧り続けている女の子へ視線を向けた。

小さな女の子へ目を向けると、その女の子も虚ろな瞳を向け、泣きそうな顔をしていた。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、蒔恵お姉ちゃん………お腹が空いて、空いて、我慢できなくて………ごめんなさい………ごめんなさい」

 

「しょうがないわよ。璃緒ちゃんは今、ちょっと変わった病気なんだから? だから泣かないで?」

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、蒔恵お姉ちゃん、ジェナお姉ちゃん、フィンお姉ちゃん、クロお姉ちゃん、ゲイルお兄ちゃん、コウお姉ちゃん、レンお姉ちゃんに迷惑掛けてごめんなさい、ごめんなさい」

 

「迷惑なんて思っていないわ? 可愛い璃緒ちゃんのためだもの? だから謝らないでね?」

 

ソファーで膝を抱える璃緒の頭を優しく撫でてあげる――――撫でながら、胸の痛みがさらに増していく。

 

その一端で黒幕風情が、何て吐き気のする偽善者面でこの子を慰める――――まさに外道だ。下種にも劣る畜生だ。

 

「それより、ここから離れましょうね?」

 

胸の内で暴れ回る葛藤を飲み込んで、出来るだけ優しく璃緒を抱かかえる――――軽かった。ロングシャツ越しでも二の腕はわたしの指二本分も無いほど細い。

 ガリガリに痩せ細った少女を抱き上げた拍子で、ソファーに魔神の書が転がり落ちる。そして、見計らったかのようにページは開かれた。

 

 

 シーサイド・アイランドに璃緒ちゃんを連れて到着してくれ。璃緒ちゃんの封印を解く時間は午後二時三十分に。

 

 その文字を見ながらわたしはもう、後戻りの出来ないことをはっきりと認識した。

 わたしは悪魔と契約を交わしたと――――。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 倉庫の外では、【黒白の魔王】と【愚者の聖王】が睨み合う。

 魔王の撒き散らす破壊と狂気の侵食は、有機物を蹂躙し尽くし、コンクリートの隙間を押し上げて伸びていた雑草すら、その狂気に耐え切れずに自殺を選んで枯れ果てていく異常な場において、聖王は眉一つ動かさない。

 そんな聖王に感心したのか、魔王は満面の笑みを浮かべる。

 

「こうやって面と向かって話すのは初めてだね?」

 

 ニコニコと邪気無く笑う魔王はゆっくりと歩を進める。

 歩きながら纏う狂気の濃度を上げていく。

 

「【お前】とはな」

 

 普段はお喋りで表情をコロコロ変えるはずの聖王は、静謐に笑わずに返答し、歩を進める。

 狂気の中心に何の怖れも無く歩を進めていく。

 

「しかし、よくもまぁ僕の邪魔をし続けてくれるよ? 二〇年前は本当煮え湯を飲まされた。まさか、道端に転がる石ころほども価値の無い愚妹と、牙と爪を自分から抜いたオオカミ、血だらけ真っ黒天使に、ファザコン金ぴか雀、死神気取りの鼻クソ暗殺者、おっかなびっくりに拷問する看護婦? いや、今は看護師か? その背後には、下種中の下種が施した罠の上に、君が黒子の如く動き回っていたなんて思ってもいなかったよ? 【以来】………君のことを色々調べたよ?」

 

「そうか」

 

「いや、本当驚くよ。ペレトゥル――――アーサー王伝説、円卓の騎士が一人――――パルチヴァール――――〈吸血騎〉とか持ち上げられているガウィナでも驚きなのに………いや、“ガウェイン”って言うべきかな? 今だけは?」

 

「喋りたければ続けろ。どうせこれはオフレコだ」

 

「黙れって言ってもベラベラ喋るけど。君の生き様は本当、凄いね? 叙事詩を読んだ時は感動した。そして、“間近”で見ていた僕の知人の話を聞いた時には、何て愚かで美しいと感涙したよ? もう君のファンだ」

 

 ハリウッド俳優に握手を求めるかのような熱烈な視線。そんな魔王に対して、まったくの無表情を貫き通す聖王。

 

「何より、君が円卓から離れた後だ。マロリーのアーサー王の死かな? そこら辺が聞いた話と噛み合うな? “ペレス王”と“君”が同一人物で、“パーシヴァル”は君を模造した“ホムンクルス”だったと聞いている。フッフフ………頑張って策略練って“君の孫”をドーピングに洗脳教育と、完全無菌状態で育てた上で色々利用して、君のデットコピーにもサポートさせて、君の“聖杯”を奪おうと躍起になっても、“お孫さん”は聖杯触れた瞬間、速攻で自殺したんだっけ? コピーも存在意義無くして衰弱死だったかな?」

 

「おおむね当たっている」

 

「そしてキャメロンは崩壊の狂想曲を奏でていく。不義の騎士ランスロットと忠義の騎士ガウェインが剣を交え、アーサー王と忌子モードレッドは相打ちに伏し、ベディヴィエールが静かに聖剣を湖に返還し、ここでアーサー王の時代は幕を下ろす………だが、世俗に縁を切っていた君は一つだけ、そう――――たった一つの真実に気付く。外から見ていたものだけが、判る真実に………」

 

「アドバイスをもらって慌てて駆けつけただけだ」

 

「へぇ――――アドバイスか? それはクンドリンかな? そんなこと出来そうな魔術師は? 君の傍らにいそうな魔術師は? そうそう――――クンドリンって言えば、魔女だけど………その魔女って、ナターシャ(、、、、、)()ブラッドリー(、、、、、、)だろ? 死者を立たせるブーネが使っていた同時の名前だろ?」

 

 肯定し続けた聖王はそこで無言に足を止めた。

 魔王も同じく止まるが、禍々しい笑みはさらに歪んで醜くなっていく。

 ちょうど四メートルほどの距離で魔王は厳かに、

 

「【墓場(セメタリー)】の第六(、、)階層(、、)天国(ヘヴン)】の統括者(、、、)聖櫃の光(アーク・ライト)】の無垢なる愚者(パルジファル)………それが今の君が持っている肩書きだろ? いや、隠している肩書きかな?

 

「“死んでいる間”………いや、“こっちに来る間”、さぞかし暇だったことが良く判った」

 

「まぁ、今のところ僕と聖堂の【腐れ杖】くらいかな? こんなビックな情報が垂れ流されていたら、〈貴族嗜好(ロイヤル)〉の長が大人しいわけがない………大人しいはずがない。おっかない(、、、、、)養父殿の雷怖れて逃げ回る。のた打ち回って最後には君の靴裏舐め回すさ。〈クラブ〉はこぞって君を探そうとするだろう………君は〈吸血騎〉にとって唯一無二の親友だ。そして、ただ一人の遠い、遠い、遠い親戚だ。【赤き竜】の【遠い血族】――――【赤き竜】が最後まで望んでも、手に入れられなかったモノ全てを手にした【真紅の雷龍】――――アーサー王伝説で、太陽神に愛された騎士ガウェインと真っ向から、真正面から打ち負かすことが出来たのは君だけだ。判り易い弱点を付かれて敗北は多々あろう――――だが、君との一戦だけは別だ。特別だ。そして格別だ。誰もが太陽の加護ある騎士を怖れて、卑怯千万の兵法と偶然に助けられている中――――君だけは正当な決闘で勝利している」

 

「………………」

 

 無言のまま眼を細める――――それだけで聖王の気配は変わる――――真紅の落雷を迸らせ、波が荒々しく波立つ――――魔王に慄くように――――聖王を讃えるかのように。

 

「フゥ――――いっぱい喋ったからちょっと疲れたな? それじゃ――――オフレコはここまでだ」

 

 一遍の曇り無く、邪悪な眼光で聖王を見やり――――ニヤケ面がピタリと収まる。

 魔王のお喋りが終わるのを見計らい、肩に担いだ真紅の槍をアスファルトへ乱暴に突き刺し、魔王に見え易いように右拳を握り締める――――真紅の雷がバチバチと迸る。

 

「なら、【暴力】を味合わせてやる。“ここ”に居られる(、、、、)時間は少ないそうだ――――大体〈三発〉分か?」

 

 尋ねる聖王に鼻を鳴らし、右拳を握る魔王――――聖王に習ってか、見え易いように右拳の甲を見せつけ、真っ黒な炎を纏わせる。

 

「気が利くね………本当………【媒介】たる【本】が、かなり離れて行くからね………わざわざ気を利かせてもらうのは、恐縮だね………お礼の変わりと言っちゃ失礼かな? 不躾かな? まぁ、軽くぶっ壊れてくれよ?」

 

 互いに弓なり――――全身のバネと、全身の力を爆発させるため、大振りに――――最初で最後と言わんばかりに全霊を右拳に込めていく。

 

「ブチ壊れろぉぉッ!! 【愚か者】がぁッ!! クソ邪魔なんだよぉッ!! 僕は【壊せないヤツ】が、一番気に喰わねぇんだよッ!! ブチ壊す!! 木っ端微塵に一欠けらも、粉末も、痕跡も壊し殺すッ!!!」

 

「てめぇの都合なんぞな――――」

 

 紅の雷が激しさを増し、

 

「知ったことかぁーッ!!!!!」

 

大振りの構えた拳を叩き込むがために、互いのテンプルへと突き刺さった!

 右拳が同時に放たれる――――互いの左足が轟音を響かせたと同時に、ミサイルの直撃を受けたかのような衝撃が港を襲い、建築物と地面が衝撃によって吹っ飛ぶ!!

 

 

 

 

 一二時四四分。番外編(オフレコ)。聖王VS魔王。

 

 

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